コロナで制限されていること
コロナの新しい宣言で制限されているのは、
飲食店の時間制限と人の流通を押さえるために不要不急の外出制限です。
それまではあまりに自由だったので、
自由な往来が出来ないことが不自由に思えます。
ミャンマー
自由を求めて声を上げた人が、殺されてしまうのです。
NHKの番組「こころの時代」でミャンマーの女医マ・ティーダさんの番組が再放送されました。
彼女は民主化要求でアウンサンスーチーさんの右腕として活動し、
投獄され6年間をほぼ独房で過ごした方です。
独房という知性も精神も無きものにされてしまう環境の中で、
自身がいかにして心を解き放ち、肉体的にも精神的にも自由を獲得しえたのかを語っていただきます。講演会の抄録はこちら
独房の中でも、
今おかれている状態に、立ち向かうか逃げ出すかの選択は、私が自分の意志で決めるべきです。自由は私の権利であり、私が自ら所有しているものなのです。それなのに、なぜその自由を手放さなければいけないのか。自由を諦めるまで、もしくは自由を諦めない限り、私は人生の難局にどう向き合うかを自分で決められるし、自由を手に入れることができるのです。自分でどう生きるのかは自分で決められるはずだと思いました。
今持っている幸せ
彼女は独房の中では、長いときは23時間も瞑想をしていたそうです。
自分の心を見つめ続けたのです。
そして、自分の自由は外からは奪えないのだと結論します。
その強い信念で過酷な体験を堪えます。
コロナによって私たちが制限されているのは、彼女の境遇とは比べものにならないくらい少しの不自由です。
それでも大人も子供も心を疲れさせていることも事実です。
出来ないことを嘆くより、今できることを探していく心の持ち方が必要なのでしょう。
呼吸瞑想で新鮮な空気を「うれしい、ありがたい」と毎回思うこともそうです。
修行僧堂では禁止されることが多いです。
・好きなだけ寝る
・好きなときに笑う
・好きな物を食べる
・音を立てて食べる
禁止されるから、これが自由に出来ることの幸せを知ることが出来るのです。
コロナで制限がある生活は、以前の生活の幸せだったことを教えてくれています。
瞑想をすることで、心の自由さを失わなかったとも言えます。
瞑想することは、
自分の幸せとか心の平和がどこにあるかを探す旅かもしれないです。