音吐朗々
南嶺管長のお話は、まごころの声というタイトルでした。
『良寛禅師奇話』のなかで解良栄重が
音吐朗暢(おんとろうちょう)、読経(どきょう)の声、心耳に徹す、聴者、おのずから信を発す
良寛和尚のお経を読む声がほがらかで伸びやかだから、心にまでとどき信心が深まると言うことです。
声の持つ魅力についてです。
動画よりもポッドキャストに可能性を見ているという僧侶松本紹圭さんとの出会いもあってのお話でした。
声はごまかすことができない、動画は上っ面を飾ってしまうこともあるのだそうです。
視覚障害の方のお話
「お祝いを述べる声には少しのもの悲しさがあり、お弔いの言葉には自分でなくて良かったと安堵の気持ちが感じられる」
声だけに集中すると、そこまで見透かすことができるかと怖いくらいです。
声はそれほどに心の有り様を現すし、心に届くこともできるのでしょう。
第41回「まごころから出る声」2021/2/16【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
ラジオ
実は管長の毎朝のお話と呼吸瞑想が、途中から動画でなくラジオ形式になりました。
最初はお出かけで録音したのかしらと思いました。
それが毎日になって、申し訳ないのですが手を抜いたのかしらと思ってしまいました。
最後の呼吸法は何度も繰り返し使えるし、なんて。
浅はかでした。
動画製作は大変だからとおっしゃっていましたが、それは製作の方の負担を考えての判断だったと今はわかります。
管長さんご自身は続けたくても、まわりの方を巻き込むことは別の問題が生じるのでしょう。
ならば声の力を試す、ラジオの可能性を試そうとなさったのではないでしょうか。
家事をしながら、電車や車の中でも聞けるような法話を試行錯誤されているのかも。
音訳では
お話の中で声が大切だからと言って、ボイストレーニングをすればいいのではないと言われてギョッとしました。
なめらかに語るより、訥々とした話しぶりに心が揺さぶられることもあるのです。
私は良い声で録音したいと、動画を見てボイストレーニングしています。
そのため、いい声と地声の差に悩んでいます。
疲れた声、慎重にゆっくり読む声、自信ない声、そんなのに気がついて読み直しをします。
たぶん1冊で9時間くらいの作品ですが、音のボリュームと音調の凸凹が気になります。
聞く耳は鍛えられてくるのですが、読む技術が伴わないことに悩んでしまいます。
でも、ひとつ大きなヒントをもらいました。
まごころを込めることです。
著者と作品に敬意を持ち、心を込めて読むことで作品全体に統一感ができるのではないかしら。
もう8割方録音は済んでしまったんですけどね。
先輩方も「終わると、もう一度読み直したい!」と思うそうなので、
まずは最初の作品を仕上げることに最善を尽くします。
春の訪れと共に、コロナには退散してもらいたい。