70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

臨済の教えを学ぶ 『ないがままで生きる』玄侑宗久著

コメダ珈琲

今日は本を持って久しぶりのコメダ珈琲へ。

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今借りているのはこの2冊

『禅の神髄 臨済録』は難しくて再挑戦中。

法話で出てきた漢字や熟語がたくさん出てきます。

 

芥川賞作家の玄侑宗久さんは、臨済宗僧侶でした。

難しい感じは少なくて読みやすいです。

 

だんだんわかってくる

『ないがままで生きる』は2016年の出版で、新聞や雑誌に掲載されたものを編んだものです。

「はじめに」でこの本の狙いを書いています。

今こそ世界は、東洋の叡智を共有すべき時ではないだろうか。

この本では「無分別」「無常」「無我」「無心」という仏教の智慧、また「無為自然」に象徴される老荘思想、そして「無限」では、秩序や必然が、いかに人間の自由に関わるのかを考察してみた。(略)日本で成熟した仏教や神、老荘の考え方に、今だから触れて欲しい。

 

出てくるの禅僧の名前もだいぶ聞き慣れてきました。

白隠禅師がどのような人で、養生法の内観や軟酥の法(なんそのほう)ももう知っています。

だんだんくっきりわかってくるようになりました。

 

思い出だって大切

持って行ったノートを読み返していたら、

過去にとらわれている人、未来の不安にとらわれているに人どちらも今に生きていない、というくだりで

具体例としてあげられていたのは、

高校時代は良かったと思うのは過去に生きている

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インド哲学のメモ

 

今日は高校時代の友人の密葬です。

たまには昔の思い出に浸るのもいいんじゃない、って思いました。

毎日部室で夕方遅くまでいたことは覚えているのですが、何をしていたのかしら。

用がなくても部室に集まっていました。

彼の結婚式にも出たし、我が家に遊びに来たこともあるし。

思い出はたくさん。

 

芭蕉の句

本の中にあった芭蕉の句

 

よくみれば薺(ナズナ)花咲く垣根かな

 

なぜよく見たのか?

おそらくそこには何らかの喪失体験がある。

喪失による余白あればこそ、人は再び無心で「よく」見聞きすることが可能になる。

喪失に抗おうとする努力は時に諦念の欠如として醜く見える

 

 友人が亡くなったのは一つの喪失体験です。

ふたたび見聞きするのではなく、忘れかけていた大事なものをもう一度見いだす、

そんな体験を今しています。

今日は友を悼む一日でした。