自由ではなく義務
禅語とは、禅宗の僧侶の逸話とかお経の中の言葉です。
日常の言葉の中にも「禅語」が多く使われています。
法話をたくさん聞いているので、色々な禅語も耳に入ってきます。
南嶺管長さんのお話の中で、
「随処に主となれ」とありました。
仏教、特に禅宗は神秘的な神様にすがるのではなく、自分で智慧を得て悩みを解決する方法を探します。
だから、自分の考えが大切なのです。
どんなときも、自分を中心に考えていいのです。
義務を果たしてこそ
でも自分勝手に好きなようにすればいいというものではありません。
「出家」して悟りを求める生活をするのなら、世俗的な義務を免除されますが、出家者としての義務があります。
そして世俗の生活をする人も、生活していく上での義務があります。
自分の人生ですが、環境の中で果たすべき義務はきちんと果たさなくてはいけないのです。
義務も楽しんで
例えば私の場合は、やりたいことはたくさんあっても家事は与えられた義務であり課題です。
料理を心を込め材料を無駄なく作ること、家の掃除は内外を清めて気持ちよくすることです。
音訳、仏教の勉強、ヨガ、ブログを書くこと、洋裁、等よりも衣食住の基本的なことを整えるのは義務です。
その義務も自分の成長のために与えられた課題と捉えます。
そんな義務も楽しんで切るようになったら、生きるのが楽になります。
南嶺管長が呼吸法で
「あぁ、おいしい空気が吸えてうれしいなぁ」と自然に笑みが浮かんでくるとおっしゃいました。
床を磨いてさっぱりして
「あぁ、床が光っていてうれしいなぁ、もっとたくさん光らせたい」
と考えるのが楽しいのです。
窓ガラスがきれいだと、外の景色がよく見えます。
そんなときも、「きれいな空が見えてうれしいなぁ」と楽しめます。
そんな満足する心に幸せが宿ります。