緊急事態宣言
二度目の緊急事態宣言で、不要不急の外出を控えるようにと要請されています。
一度目の宣言の時、お寺の座禅会や法話が中止になり、セミナーや講演会が全部キャンセルされました。
それまで大人気だった管長さんや老師達が、
「自分たちのやってきたことは不要不急だったのか」
と意気消沈なさったことを思い出します。
緊急事態が長期間続きそうだとなったとき、こんなときでもできることを始めようと若い僧侶がちが中心になって立ち上がりました。
円覚寺でもチャンネルを作り管長さんの法話のアップが、宗門の方から許されたそうです。
コロナがあったから
それ以来、今まで物理的身体的に参加できなかった方との「仏縁」が増えたことは想像以上のようです。
遠い地方の方、外国の方も参加することができます。
病床で法話を聞き、護摩炊きを見ることもできるのは今までなかったことでしょう。
私もその一人だと言えます。
龍雲寺の横山住職のことも知ることができました。
【お寺で対談②】40年続けた坐禅会中止からオンライン坐禅会へ、不要不急は禅問答? | 野沢龍雲寺住職 細川老師・臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
父親から寺を継ぐとき、父親が守ってきた座禅会やイベントを命をかけて守ろうと決意されました。
それが「不要不急」だからと全部なくなって、それでは不要不急でないものは何だろうと考えたそうです。
生きるために必要な基本的なのは衣・食・住です。
これは不要不急ではありません。
畑を作り木の剪定などをするうちに、
「このあと座禅会がまた行われるようになったら、新たな気持ちで大切にできる」
ことに気がつきます。
不要不急と言われてしまった座禅会は、手放すこともできるけれども生活の奥行きを与え,豊かにするための大切な物だと気づくわけです。
「いつでも手放せる大事なもの」
なんとか座禅会を続けようとするのは執着です。
できないときは、あっさり手放しますがそのありがたさ、大切さまでを手放すわけではないのです。
円覚寺は座禅会をすぐ中止して、それを見て龍雲寺も中止を決断したそうです。
横田館長は
「雨が降ったか。それなら傘をさそう。」
くらいにすぐに諦めたそうです。
無理なことはすぐ諦めることも大切なんです。
手作りも掃除も
私のことを並べるのはおこがましいのですが、
マスクを作るのも洋服を作るのも、衣食住の「衣」の部分です。
横田南嶺管長も、ドクダミ茶を作ったりしていたというお話がありました。
家ごもりで手作りパンや手芸に人々の心が向かい、断捨離をする人も増えました。
衣食住の基本的なことを大事にすることで、心が安らいだという効果があったのだと思います。
衣食住以外の心を充たすことがしにくくなったからです。
信仰や芸能・エンターテイメントも生活の幅広さ、豊かさ、奥深さの為に必要です。
不要不急の中でも、生活の豊かさを求めて手作りをする、心を守る方法です。