飛ばしてしまいたい
楽しくドラマを見ているのに、見たくなくて飛ばしたいエピソードがあります。
子どもたちのいたずらがあまりに大人を困らせる場面です。
ドラマの中には孤児がたくさん出てきて、大人への不信感で反抗したり、過剰な好奇心でとんでもないいたずらをします。
困った事態が予想されるとき、私はその場面を飛ばしてしまいたくなります。
見たくないのです。
その気持ちをよく考えてみたら、私は子供から迷惑をかけられることが許せなくて腹を立ててしまうからだと気がつきました。
困らされることに不寛容なのです。
困らせないは叱られない
どうしてかを考えました。
自分は子供の時から親や大人を困らせないようにしてきたからではないかと思いつきました。
そして、叱られないようにと行動してきました。
叱られないように、困らせないように、いい子でいたのです。
そんな風に自分を抑えてきたから、たとえドラマでも子供が軽率に大胆に行動することが「不愉快」なのかもしれないです。
そして、自分が子育てをするときにも子供の「無邪気な大胆さ」に不寛容だったかもしれないと思い当たりました。
失敗をプロセスと考える
私自身は、子供の頃からあまり失敗することがありませんでした。
受験でも大学卒業後の就職試験が初めての不合格経験です。
それでも親が別の就職先を見つけてくれて、困りませんでした。
だから、失敗を恐れるようになってしまったようです。
今なら、失敗をしてもそれが成功へのプロセスと考えることができます。
「失敗してもいいんだよ」というメッセージを受け取って育つ子供は、
たくましく挫折に強くなれます。
「アボンリーへの道」を見続けて、子供達のいたずらに寛容な大人達をたくさんみているうちに、私のこころの頑なさがほぐれてくるような気持ちになりました。
いたずらも失敗も、そのトラブル処理はたいしたことないです。
大変な事態でも、子供達を叱ることよりその先どうするかの行動を考えることに注力すればいいのです。
まだ未完成の子供を否定すべきではありません。
大人になった自分でもまだまだ足りないところや弱点があるのですから。
今になってこういうことに気がついてよかったです。
「アボンリーへの道」は楽しいだけでなく、考えさせられたり、胸を打つ作品です。