3ヶ月に一度
女性達で女流作家について語り合う「読書室」と名付ける会があります。
元高校の図書館司書のSさんを中心に、事前に本を読んでこなくても大丈夫の気軽な会です。
いつもSさんがたくさんの資料を用意してくださいます。
人間関係がわかる家系図や相関図、著者の年表、作品の背景になる時代のトピックスです。
高村薫はどんな人?
長編で重厚な作品が多い高村薫さんが、どんな方なのかから話は始まりました。
作品と名前だけでは、男性か女性かもわかりません。
高村さんの意図もそこにあるのでしょう。
私は、作品だけで勝負したいという意思を感じました。
母親の実家は浄土宗のお寺だった関係か、仏教の世界のゴタゴタがよくわかっていたらしいです。
母親の意向(?)で、高校大学とキリスト系の学校に進みました。
Sさんが注目していたのが、七〇年安保との関わりです。
何歳の時にどんな世情だったかが、作家にとって影響しているというのです。
私たちの世代は七〇年安保、少し上の世代は六〇年安保との関わりです。
たくさんの取材を元にサスペンスを書き続けていた高村さんが、立ち止まったのが40歳代半ば。
女性のことを腰を据えて書こうとしてできた作品が『晴子・情歌』なのでは。
三部作の一作目
『晴子・情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』が連作です。
晴子の家族、晴子の夫淳三の家族、晴子の孫秋道が書かれています。
『晴子・情歌』は晴子が息子に当てた100通の手紙が元になっています。
自分の生い立ち、結婚、出産、その時々にどんな気持ちでどんな決断をしたかが内容になっています。
Sさんが作品の一部をコピーしてくださったので、私が音読することに。
新婚の夜、義兄との一夜、夫の病床でのエピソードなど。
Sさんの解釈では、高村さんはこういう「自立した女性」を作り上げたかったのだろうということ。
状況にただ流されるのではなく、自分の力で局面を切り開く女性です。
身体の本能も俯瞰してみることができ、他人の内面も想像できる人です。
『冷血』にも通じる
今回私は高村薫さんの作品の『冷血』を読んでみました。
上下2巻の長編で、裁判や警察の調書が長々と続く読みにくい作品でした。
今回の読書室でSさんのお話で感じたことがあります。
高村さんが書いているのは、単純な倫理観では割り切れない人間の有り様ではないかと言うことです。
『太陽を曳く馬』の主人公は殺人を犯します。『冷血』でも強盗殺人犯を描いています。
どちらも、自分の犯した行為を反省しないし謝罪もありません。
どうしてなのか、刑事達は犯罪の動機を探して苦闘します。
はっきりした動機はないのです。
流れの中で罪を犯してしまう危うさは、誰の心の中にもあるかもしれないと恐ろしくなります。
私たちも何度は、罪を犯す人と罪を犯さない人の岐路に、立ったことがあったのかもしれないです。
インド哲学の教えを思い出します。
誰の中にも悪い心の「種」はあって、悪い人とはそれが発芽するかしないかだけの差なのです。
高村さんの小説には様々な人間が出現します。
こんな冷血な人間だっている、こんな意思をもった女性がいる、人間って一筋縄ではいかない、だからおもしろいといっているようです。
読書は、私たちを広い世界に引き出してくれます。
*写真は私的集まりのための資料です。ご厚意で載せました。