東大入学式
今年の東大の入学式で、上野千鶴子さんの祝辞が話題になりました。
頑張っても女性ゆえに報われない日本の現状があること、東大の中にも根強い封建的な価値観が残っていることを指摘しました。
勝間さんも触れています。
東大の男子学生は、東大であることがステータスになるのに、女子学生は東大生というと他の大学生に引かれてしまうので、「東京の大学」と答えるのだそうです。
頭が良いとか努力して難関大学に入ることが、女性にとっては魅力にはならない事が多く、恋愛にとっては障害ともなり得るのです。
それは、体験してわかったことでもあるかもしれませんが、育てられ方も大きく影響しています。上野さんはこれを「『男子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です」と言い切ります。
私も親からそう言われて育ちました。
アンのかんしゃく
女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。女の子はかわいくなくちゃ価値がないの?と心から叫んだのが『赤毛のアン』のなかの主人公、アンです。
アンが怒りのかんしゃくを起こす場面が2カ所あります。
最初は近所のリンド夫人が、孤児院から引き取られたばかりのアンをみて外見をけなします。
「それに、なんてやせっぽちで、みっともないんだろう。」
「髪もまるでニンジンみたいに赤いじゃないか!」
二つ目は学校でハンサムなギルバートにやはり髪の毛をニンジンと言われた時です。
怒りにまかせてギルバートの頭に石盤を打ち下ろし、石盤が真っ二つに割れる有名な場面です。
赤い髪の毛はアンの最大のコンプレックスで、このために完全な幸せにはなれないとまで思っています。
アンと同じ心の痛みを、100年たっても女性は感じ続けていると言うことです。
アンのように怒ることもしないで、ということが大問題です。
女であること美しくないこと
アンはかわいくないことより以前に、農家の手伝いができ、跡取りになる男の子でないために拒絶されます。
2重に否定された出発点から、受け入れられ自分への肯定感を得て、コンプレックスを克服していく成長物語が『赤毛のアン』です。
女性でも経済的に自立するすべは身につけるべきだと、進学を応援してくれるマリラは、その時代には珍しい考え方です。
著者のモンゴメリも大学に進み教職に就きました。
結婚は30歳を過ぎてからです。
モンゴメリが物語にこめた、女性が内面の価値で認められる社会の実現はなかなか進んでいません。
いまもって日本では実現されていないことになります。
女性が生きやすい社会は、男性にとっても生きやすい社会のはずです。
そしてマイノリティが暮らしやすいとは、シニアにとっても優しい社会とも言えます。
令和はそんな社会になって欲しいです。
今読んでいる本です
平安時代の女性の、生身の叫び声が聞こえて来ます。