二回目かも
この本を読んでいて、以前にも読んだような気がしてきました。
澤地さんのアメリカ留学のことを知っていたからです。
それでも、前半の新聞連載のエッセイは読んだことがないような。
記憶は当てにならないです。
でも、もう一度読んでも感動できるのだから認知力の衰退を嘆くのはやめます。
エッセイは六十六歳から六十七歳にかけて書かれました。
そのあとアメリカに短期留学し、沖縄にはもう一つ住む家を契約するなどの大きな動きがあります。
私はまさしくその頃の澤地さん同じような年齢です。
今読むと、違った思いを抱きます。
気になる人
澤地さんはいつだって気になる人だから、今までも図書館で名前を見るたびに手に取っていた可能性はあります。
ただ、彼女の力作のノンフィクション作品は、手強すぎて読んでいません。
『妻たちの二・二六事件』
『記録 ミッドウェー海戦』
などです。
軽い物ばかりを読んでいます。
彼女の人となりとか生活にとても興味があるのです。
英語学習など準備
戦中で英語の基礎を学べなかったという澤田さんが、アメリカへの留学を決意し2,3年かけて準備をしていきます。
それでも最初は全くわからなかった英語が、だんだん意味を捉えることができるようになった経緯が興味深かったです。
そのアメリカ行きは、忙しく追いかけられるようだった人生を強制的に止めるためにも必要だったようです。
一年間の休暇をとって、その期間にある種の脱皮をし、新しい人生を生きよう。(中略)
生きることに少し疲れた自分をいたわりながら、のこりの人生を悔いない物にするための選択
フリーランスで一人暮らしと言うこともありますが、どんな人でも恐れず立ち止まり、違う場所に身を置くことはできるのでは。
私だったら・・・と考えます。
沖縄での人生の休暇
沖縄宜野湾市での生活は、琉球大学の聴講生になると同時に、文化や歴史を肌で感じる暮らしです。
私らしい生き方をしたいと手探りをかさねるうちに、ここに行きついた。
という土地です。
借りた部屋は普天間基地に近く、二階の窓からは遠くに東シナ海が見える場所。
二〇世紀を生きた人間の一人として、その終点を見とどける地平となる沖縄
と書くとき、澤地さんには民俗学的な視点もあります。
沖縄では澤地さんが愛している、織物や焼き物を愛でることもできます。
だから沖縄の生活は、澤地さんにとって人生の「休暇」とも言えるのでしょう。
東京と沖縄とを行ったり来たりの生活。
60過ぎても人生は面白くできるって見本です。