貴族の 別荘
だったところ 有名な人が住んでいた 作品の舞台にもなっていた
三島由紀夫が小説の舞台にし、 佐藤栄作が国内外のお客をもてなしたという歴史ある建物です。
なんとも趣があります。 門までの坂道の木陰が 静寂。
その前に参拝した長谷寺の喧騒とはうって変って、 空気が違います。
鎌倉文士に関する資料がそろっているのですが、名前だけ知っていて 作品は知らなくて読んでいないものが多いです。
鎌倉文士
「鎌倉文士」という言葉が使われだしたのは昭和に入ってからです。もちろん、それ以前にも"萌芽"は確実に育まれていました。明治から大正にかけての泉鏡花や島崎藤村、夏目漱石、芥川龍之介らの鎌倉滞在は、それぞれに、その執筆活動において重要な意味をもっています。
里見弴と久米正雄。大正13、14年に相次いで鎌倉に暮らし始めたこの二人が、いわゆる鎌倉文士のリーダー格。里見と久米は互いに求心力を発揮し、後に移ってきた文士たちのまとめ役となりました。それを象徴するのが昭和8年に発足した「鎌倉ペンクラブ」です。久米らが中心となって結成されたクラブには、里見はじめ永井龍男、大佛次郎、川端康成、横山隆一、小林秀雄、島木健作ら42人の作家、文化人が名を連ねました。
鎌倉つながりで少しずつ読んでいきたいです。これは、教養ってものですね。
日本の代表的な知性人を、知らないって言う事です。
鎌倉を舞台にした小説を読み、その場所を訪ねる、人生の楽しみ方を一つ増やせます。
まずは、川端康成の『千羽鶴』円覚寺の茶室がでてくるのですから。
立原正秋
鎌倉と言えば、立原正秋が一番に思い浮かびます。
一時期彼の作品に読みふけっていたことがあります。
舞台になっている鎌倉は、観光地ではなく、古い伝統を大切にする人たちが自分を律しながらも心に燃え盛る炎を隠しながら生きている場所です。
出てくる女性は美しく着物が似合い、男性の厳しい審美眼に応えることができる知性と教養も兼ね備えています。
男性のというか、作者の理想像なんでしょう。
ちょっと夢物語のように美しい日本の姿が描かれていたように記憶しています。
あと、こんなに厳しい審美眼を持った男性のそばにいる女性は、緊張のしっぱなしでくつろげないだろうと思っていました。
作家の奥さんはどんな人かしら、本当に理想的な女性が身の回りにいたのかしらと考えをめぐらせてもいました。
たぶん30代で子育てに忙しかったころ。
現実離れした物語が心地よかったのでしょう。あの頃、鎌倉がとても遠いところのように感じていました。
今もう一度、彼の世界にも戻ってみたらどんな感想になるかしら。
小説を読み直す醍醐味です。
若いころたくさん小説を読んでおいてよかったと思えます。