70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

他人のせいにしないと、生きることが楽しい

今朝の出来事

暑い毎日が続いています。

庭の水やりの為に散水ホースを手にした途端、シャワー状態の水が飛び出して頭からずぶぬれになってしまいました。

水道の元栓は開けたままでいて、手元のレバーで放水や水の量などを調節できるようになっています。

私は使った後、水道の元栓まで止めることが多いのですが、わたしだけが使っている訳ではありません。

 

水にぬれながらも、ちょうど日差しも出てきて暑くなりそうだったので気持ちいいくらいに思いました。

今までだったら

その時思ったのですが、今までだったら思いがけない出来事(それも不愉快な経験)に遭遇したとき、自分以外の人のせいにしがちでした。

たいしたことでなくても、他の人・他の物にその原因を押し付けていたように思います。

前に使った人のせいにして、自分を責めない代わりに自分の気持ちをくさくさとさせてしまったりします。

でも、ホースを持ち上げるときレバーを握ってしまったのは私です。

元栓がどうであれ、レバーを引かなかったら水は出ません。

前に使ったのは私かも知れないのに、架空の「前に使った人」に責任転嫁してそれ以上何も考えないのが、今までの私の行動です。

 

自分の行動を考える

・散水ホースを手に取るとき、レバーを引かない

・元栓が空いている場合もあることを事前にあたまにいれておく

 

これだけのことです。ほかのだれかではなく、わたしが気をつければいいだけのことです。

 

このようなことが日常にたくさんあるのだろうと思います。

 

小さな出来事の自分の行動を、ひとつひとつをていねいに考えていくことが、大きくヨギーニに続く道になるだろうということまで考えがすすみました。

 

他人のせいにしてきたから

今まで気持ちが重くなったり、もやもやしたことの多くは、他人のせいにしてきたからかもしれないです。

自分が失敗をするように、他人も失敗をするのは当然と考えるならば、人から被害を受けたり攻撃されたと思っても許すことができるのではないでしょうか。

 

自分だってできないことを他人に求めるのは無理なんだと、納得させることができます。すぐにはそういう気持ちになれなくても、だんだんなれるのではないでしょうか?

 

何か文句を言いたくなったとき、その前に自分でもできることがあるのではないかと、一呼吸おいて自分を振り返りたいと思います。

 

腹が立つことがあった時、人を責めると、自分も相手も気分を悪くさせます。

それより、客観的に一歩引いて、大人の対応というか、一緒に感情的にならないように気をつけたいと思います。

 

そういう事態になったことは、自分のどういう行動なり言葉が招いたことなのかを考えることです。

そうすると、自分の側にもそうなる「種」があったことに気がつきます。

そうなるように、わたし「も」していたのです。

相手ばかり責めるのはおかしいです。

 

他人のせいにしていると、自分の成長も心の安心も得ることができないと思います。

 

学び続ける生き方

自分の周りで起きるすべてのことが、自分を映し出す鏡のようです。

自分がやさしくなれば、優しく応えてくれます。

 

アクシデントもより強くなるためのハードルと思うようにしましょう。

なんにしても、前に進むしかないのですから。

 

学び続けているという気持ちの持ち方で、生きることが楽しくなりそうです。