70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

久しぶりの悪夢

夢の中だけど、ホントに切羽詰まりました

大学の試験が明日からあり、準備ができていなくて焦るという夢でした。

授業にも出ていなくて、時間割もわからないので何の試験があるかもわからない。

友達に聞こうと思うのですが、だれに聞いたらいいのか友達も思いつきません。

電車に乗る時間にも間に合いそうもなく、いつ試験が始まり何の科目なのかもわかりません。

大学に電話をかけて問いあわせればいいと思いつくのですが、大学の電話番号がわからず、電話案内に電話を掛けるところで目が覚めました。

「夢でよかった」と安心しました。

大学を無事卒業してもう40年たっています。

久しぶりに鮮明に覚えている悪夢でした。

 

小学生のころ、時間割など明日の準備をすることが苦手でした。

やらなくてはならない、たとえば夏休みの宿題などできなかった覚えがあります。

 

どうしてこんな夢を見たのか考えてみました。

最近シンプルライフとかミニマリストのブログを読みふけっていて、こんな風にしたいというアイデアがたくさんあります。でも、読んでそのなかの言葉をつまみ食いするだけのような気がするのです。

実際の行動には反映されないままに、知識と雑学だけが積み上げられていくだけのような無力感があります。

読んでも実行してこなかった今までのたくさんのことが、無意識に自分を責めているのかもしれません。

自分が情けないというような気持に襲われたのではないでしょうか。

 

ダメな自分という感情が、あのような夢を見た原因かもしれません。

偉そうにしているけど、やるべきことをやらないで焦り困ってあわてているのが本当の自分の姿だよと、自分の一面を思い出させるような夢でした。

その一方、あんな風にならないように、今は違う心持ちで生きているしこれからもそうしたいのだと思うこともできます。

 

家族に対しての自分の心の底の感情もちょっと垣間見えました。

夢の中で、焦っているのに掃除をして母にはほめられたいと思ったり、娘には車で駅まで送ってもらおうと思ったりしました。

夢なので支離滅裂です。自分が20歳の娘であると同時に、30代の娘を持つ母親でもあるのですから。

母とのことは、「いい子」を演じて叱られたくないという気持ちが強かったことを思い出します。今でも、自分の価値観を主張できないでいます。

娘のことは、便利に使いたいとでも思っているのでしょうか。

家族に対して、自分が支配されたり支配したりの関係があるということかもしれません。それは、依存ということにもつながる私の弱点ともいえそうです。

個人として互いに尊重しあい、主張し譲り合うようになりたいと思います。

 

今感じているのは、「今現在は幸せだ」ということです。

幸せは不幸と比べてみないとわかりにくいものです。

私の見た夢のような状態でない「今の現実」を幸せだと実感できた今朝でした。

日常の中でつい忘れてしまう、普通に暮らすことの幸せを実感できます。

悪夢を見なくても、「今」に感謝したいと思います。