70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

インド映画

サタジット・レイ監督デビュー60周年記念「シーズン・オブ・レイ」

 
早稲田松竹には初めて。いわゆる名画座形式というのか、2本立てで入れ替えなし座席指定なし。

早めについたら何人か並んでいて、それが男性ばかりなのに驚く。
近場の映画館では、圧倒的に高齢女性ばかりの光景に慣れていたから。

あとから来たお客も男性が多い。開演が近づくと若い人も増えてやはり男子が多い。
サタジット・レイという監督の映画のためか、単に都心だからだろうか?

映画の内容としては、どちらも女性が主人公なのにとちょっと不思議に思う。
「チャルラータ」
始めクラシカルで緩慢な話の運びに眠くなった。チャルラータの押さえた感情に気が付かなっかということか。
途中からは物語の展開もめまぐるしいし、彼女の激流のような感情の流れに圧倒される。
生きることの意味、幸せ、身近にいる人間への誠実さと愛情について問いかけてくる。
チャルラータを演じるマドビ・ムカージーの表情をとらえるカメラワークが素晴らしい。白黒映画なのだが、顔の半分ライトに当たって白く、残り半面が闇に隠れているシーンでは、心の凄みが表現されているようで胸にドキッときた。怖いとまで感じた。
 
「ビッグシティ」
家族に従順でやさしい女主人公が、だんだん自分と仕事に自信を持っていく様子が描かれている。見ているとまだろっこしいような、でもこんな勇気私にはないなって思うところもあって人物像が複雑。
最後私が想像したような結末にはならず、驚く。ああ、私って薄っぺらかったなと反省。
やっぱり楽に得して行きたいと思っている自分がいるのに気が付いた。
彼女の強さたくましさは、私にはないなぁ。
この映画を見た後は、どんなことがあっても「次行こう!!」って思えばいいと思えそう。

そんなことで打ちのめされてなるものか、今ここでこうして息して生きているのだから。

インド哲学でいうところの、過去や未来ではなく、今のその瞬間を生きているということ。
身体に苦痛があるわけでもない、死にかけているのでもない、面と向かって罵倒されている訳でもない、その瞬間に打ちひしがれても仕方がない。

「チャルラータ」のヒロインの文章を従兄弟がほめる場面で「人に伝わる文章」というような言葉があった。わかりやすく伝わる文章を書く努力をしよう。一人よがりでなく客観的に、そして丁寧にということかな。

2本とも、映像もきれいで内容は濃く、楽しめた。
次も面白そうな映画が紹介されているから、続いて名画座通いをしようと思う。