70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

読書

本を読んだ後の感想を書いておこう。

高峰秀子の流儀」著者の高峰秀子への思い入れがすごいと感じる。対象が傑出した人物だから仕方がないのかも。

高峰秀子

潔い人・いつも緊張していた・「整理整頓」を極めていた

結婚以来一度も茶碗を割らない、それほど神経が行き届いていたのだろう。私に一番足りないことかもしれない。物事に対処するとき、あまりに向きになってしまって周りがみえなくなってしまったり、とんちんかんな言いようをするときがある。ちょっと身を引いて「俯瞰」してみることがいいかもしれない。慎重に、お茶碗を割らないような対応を心掛けたいものだ。
もう一つt、昼間から高級ホテルでお茶のみをしている婦人たちに「あの人たちは、なんて時間を無駄遣いしているのだろう」という感想をもらしたこと。時間の無駄遣いは人生の無駄遣い。意味ない時間の使い方は、意味ない生き方。翻って、私はどうなんだろう。

吉本隆明が死んだ。高校時代に詩集を手に取って、私の世界が広がった。もう一度手元に残っている詩集を読んでみる。難しい言葉が並んでいる。20歳のころ、私はこれを理解できていたのだろうか。そして、今の私はそのころより賢くなっているのだろうか。

書かなければ、時間はどんどん流れてしまって残るものがない。でも、私は考えるのが厭で、テレビに逃げている感がある。眠れない夜、考え事をすると苦しくつらくなるのが厭でテレビを見ている自分に気が付いた。突き詰めて考えることをしたくない。突き詰めると、今の自分を肯定することができないからだろうか。自分の生き方、自分を認めることができなくて自分を大事にできるわけがない。自分を大事にしていなくて、家族や他人にも優しくできるわけがないかも。

う~ん。考えがまとまらない。