自分では気づかなかったこと、当然だと思っていたことは、他人の目を通してみてそのおかしさに気づかされる。
我が家の門は、とってのところが壊れてしまって、バーベキュー用の火バサミで押さえていた。そして、門を通らず駐車場の車の横を通って入るようになっているため、門から玄関に続く通路は、プランターを並べて通れなくなっていた。宅急便の人とか訪ねてくる人が、どこから入るんですかといつも聞く。
でも、それがおかしいとは思わなかった。昨日、この門は使っていないんですか、この通路はもう使わないのですか、と聞かれても「はい」と答えて何の疑問もわかなかった。
機能していない門を直していない。もう何年も。これはお客さんにwelcomeではないというメッセージを出しているようなものだ。本当に無自覚。門も通路も、その役目を果たしていない。「モノは使ってこそ」に加えて「その本来の目的」をはたしてこそ、ごきげんで美しいのではないだろうか。
早速門の取っ手を直したり、通路を通れるようにしてみよう。我が家がちょっと生き生きと感じられるようになりそうで楽しみ。
こんなことからでも、幸せへ続く道があるような気がしてきた。