70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

堀文子

堀文子画文集「時の刻印」

便利を求めて、本来の生物としての能力をどんどん剥ぎ取って、文明を誇っていますが、私のような絵描きには、そういうことがすぐれているという理由はないわけですから、鳥や獣の持つ原始の感性をとり戻したいっていう気持ちが強いんだろうと思います。

山の獣でも草木も、ずいぶん観察いたしましたけど、生と死を分けながら生きてるんですよ。小さな草花でも。大変は知恵を持っている。だからそういうものに、私は少しでも近づきたいんです。「原始絵」とかって言葉で言うと気取ったようにきざですねど、やっぱり私の中にそういう命の根源がまだ埋もれているんじゃないかって言う、・・・・まだまだ自分の芽が吹いてないんじゃないかと思っております。

やっぱりじぶんがもう五十という年に近づいた以上、もう人に遠慮なんかしちゃいられない、私の一生を全うしなければしようがない。返り点がきてるんですから、やり直しはきかないぞって思いました。自分の本性を見つけたかったのです。

本当に恥ずかしいんですけど、いったい自分は何だったんですかっていわれても、わからないから生きて探してるんだとしか言いようがないんです。生きてる限り、探しているんじゃないんでしょうか、皆誰でも。一番自分がわからないでしょう。何かやってみなきゃわかんないって感じで。

ものを作る人間は一人でいることを自分に課さなくてはなりません。あすをもわからぬ不安な状態で、いつも崖っぷちで生きているのです。他人に会わせるためには、失うもの、すり減らすものも多いわけで、その点よっぽど気をつけなくてはいけません。

自分が拠って立つものがあれば、広く浅く多くの人とつきあいたいなどと思わないものです。そもそも、自分が拠って立つものを見つけるのだって、一生かかってもできないくらい大変なこと。そうそうエネルギーをいろいろなものに向けることはできません。

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