闘病記
小説家でもありホスピス運動を精力的に進めていた重兼芳子さんの闘病記です。
ホスピス運動をしていたことは知っていたので、その関連で書かれたものだと思っていたのですが、ご本人がこんな重篤な病を経験なさったのに驚きました。
それを、これほど詳しく描写されている精神力にも感銘を受けました。
64歳での発病と闘病。この本では闘病中に夫を亡くし、その喪失感との闘いも書いてあります。家族・友人・北海道の自然・音楽などの助けも借りて再度歩み出します。
調べてみたら重兼芳子さんは66歳で亡くなっています。
まさしく今の私の年齢の話です。
闘病後回復して海外旅行にも行き、池袋の芸術劇場での第九コンサートの舞台にも上がっています。
いのちと死について精力的に書いたり講演をなさったようです。
シニア夫婦
がんの宣告を受けて、その夜夫にそれを告げますが夫はうろたえるばかりです。
「おれは遺されるのか」と小さく呻くのみです。
社会的に活躍した方ですが、70歳過ぎた男性は、こんなにも心弱いものなのでしょうか。
それにひきかえ、重兼さんや長女は生活を繰り回してきた女性の強さを感じさせます。
老いるとは、自分のことしか関心がなくなるのだ、とあきらめます。これは私も肝に銘じておきましょう!
海外旅行を予定
発病の年、64歳のとき重兼さんは3回の海外旅行を計画していました。
今更インド旅行はやめようとしていた私は、目を覚まされる思いです。
できないと決めつけるなんて、弱気すぎます。
私は今のところ病を得ていない、この恵みをムダにしないで生きなくては。
死ぬ準備
彼女は入院前、身の回りの整理をします。
大切なのは「書きかけの原稿」であって、40冊以上の著作ではありません。
書きかけの原稿用紙がその時の存在証明だったのです。
過去に生きていないで「今」に生きているのでしょう。
この箇所を読んで私も断捨離をもっと進めておこうと心に決めました。
いつこのような事態に直面するか、誰にでもいつでもありうることなのです。
ホスピスで逝った人たちは、決して恐怖におののいてはいなかった。此岸から彼岸へ渡るとき、此岸への未練や執着を示さなかった。ホスピスで暮らしたわたしの先達と同じ道を辿ることに、一抹の安らぎと慰めを感じるのだ。わたしは知らぬ間に、自分の死の準備をしていたのだろう。
生を堪能する
本も家もすべて置き去りにして惜しくなく、
ものにまつわる今までの年月と、ものにつながる人々が無性に愛しい。それは自分の人生に対する愛惜の念でもあり、今まで生を堪能してきた充実感である。
人生を堪能できたと思えるのは、素晴らしいです。
重兼さんはクラシック音楽やオペラを愛し、洋服や食事・お酒も楽しむ方だったようです。
それにひきかえわたしは、実利実利できてしまい、高尚な趣味もありません。
悔いのない生き方をしたつもりですが、なんだか貧弱に思えてしまいます。
生を堪能する、まだ わたしは堪能していないかもと思わされます。
ヨガを中心に生活していること、インド哲学に魅かれていること、それが私の「今を生きている」ことなんだと思います。