70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

涙は乾いて

涙ぐむ

涙を流した翌日もヨガセンターに行きました。

指導員の先生から優しく声をかけていただいて、今日はしっかり動きますと笑顔で答えました。また優等生ぶっていますね。

 

つけくわえて、でも心はまだざわざわしています、と正直に伝えました。

 

練習が始まってしばらくしたら、涙がにじんできます。

まだデトックスが足りないのかな、流れるままにしようかなって考えていました。

 

その時、自分のある気持ちに気がつきました。

 

1年たっても思うように身体が変わっていない、練習についていくことが大変だと思っていて、それが悲しいのかもしれないと。

 

こんなに身体を伸ばしたり曲げたり精いっぱいしている、それを誰もほめてはくれません。

自分でほめるしかないのですが、自分もほめてないから悲しいのです。

 

変わってきたところがあるのを、知ってはいるのです。

いくつもあります。

でも、できないところにどんどん気がついてしまう最近だからです。

hoymin.hatenablog.com

 

チャレンジ

純子先生の言葉を思い出しました。

「アイアンガーヨガはチャレンジです」

「ここではほめることはしません。自分のからだで気付いてほしいからです。」

このヨガセンターに通うということは、そういうことなのです。

 

「ヨガを続けることで、自分に出会うんです」という言葉も浮かんできました。

誰かにほめてもらわないと確信が持てない、そういう自分の弱さに今出会っているのです。

 

人にほめられなくても、自分で大丈夫と思える強さを持ちたいです。

 

人と比べない

涙ぐみながら、自分の心の持ちようをいろいろ考えました。

知らずしらず人と比べたり、他人を意識しているから辛いのだと気がつきました。

 

何のためにヨガセンターに来ているかの原点を思い出します。

誰かに認められたいからではありません。

自分のためです。

愚直でも、いつまでもひざが痛くてもいい。

できることをするしかないのです。

 

家で練習をしなかったり、食べ過ぎたりもあります。

年齢と経験の浅さも、変えることのできない私です。

 

だんだん涙が乾いて、今ヨガセンターに通えている幸せを感じるようになりました。

 

今ここで、深いヨガの哲学を学ぶ機会を得ていることは、滅多にないほどの僥倖なのだと。

 

自分と出会う

これからもヨガを学ぶことで、自分に出会う場面がたくさん出てくるでしょう。

どんどん新しい自分、それも醜い自分が出てくるかもしれないです。

苦しいかもしれないけど、楽しみたいです。

 

どんな時も、ヨガの哲学とかインド哲学の学びにその答えを探します。

 

自分に集中する

練習では、今まで以上に自分に集中することにしました。

昨日までと違う自分を感じるのです。

身体の中の変化も見逃さないように、身体のたくさんの箇所に開発中の「目」に意識をめぐらせます。

 

ウッティタ・トゥリコーナアサナのとき、後ろ足のかかとがちゃんとマットについています。

前足の付け根のところから曲げていくことを意識し、付け根の存在をポーズをとっている間ずっと感じていられます。

 

他の人が自分のことをどう思っているか、なんて考えている暇はありません。

自分をかわいそうに思い、感傷に浸っている暇もありません。

 

一つ階段を乗り越えたようで、気持ちがすっきりしました。

 

修行は続きます。