98歳の時の著作
お元気で長寿だった宇野千代さんが心とからだのことを、それまで書いたり言ったり実践していることをまとめた本です。
老いを生きる智恵がたくさん詰まっています。
天風会
宇野千代さんは中村天風というヨギーと出会い、健康法を伝授されました。
だから宇野千代もヨギーニなんです。
この本の中でも、ヨガとかインド哲学に由来すると思われる考え方が出てきました。
今を生きる知恵
背中も丸くなったけど、そうなった自分もうけいれて90歳に即した自然な生き方をすればいいと説きます。
私はあなたもご存知のように、これまで人に言えない困難な人生を歩いてきましたが、そのいつの時でも、その困難に心身を入り込ませることによって、困難をのり越えてきました。これは病気の時も同じです。私は、病気をしたりけがを起こしたりしましたときに、反発したり、逃げたり抵抗したりすることがないのです。病気をしているのも自分です。今は病んでいるその辛さの中にするりと身を寄せて、その中に自ら入り込むのです。
体調がいまいちの時、私もそうしようとしてみましたが、難しかったです。
宇野千代さんがこの心境にいたるまでのこころの修練がいかほどかと思いました。
老齢も病気も私の人生です。病むということも、生きて行く上での一つの経験として、十分に味わい、愉しんでいきたいのです。
恋愛でも仕事でもそして創作でも、身もだえするほどの困難を通り抜けた末のこの写真の無邪気そうなかわいい姿です。
わたしのこれからの人生で辛いと思った時、宇野千代さんの苦しみはこんなものじゃなかっただろうなって考えたいと思います。
前しか向いていない
宇野千代さんはとにかく前しか向いていません。
私は、いつの場合でも、自分の興味のあること、したいことを追い求めて忙しく生きてきた。余りに忙しかったので、過ぎたことをくよくよしている暇はなかった。思い出したくないことは、つぎつぎ忘れ去ってしまった。この、忘れ去るという特技が、自分自身を救う一種の精神的治療法になったような気がしている。
そしてまたインド哲学的な言葉があります。
毎日が新しい。毎日が新鮮である。今日の自分は今日だけの自分である。
毎日死んで毎日生まれるという考え方です。
もう変えることはできない過去のことは思いわずらわず、まだ来ない未来の不安に心を痛めない、今を生きるというインド哲学です。
死ぬその時まで愉しく
実際には心身の衰えに悩まされるでしょうけど、死ぬその時まで愉しいことを思い浮かべることはできます。
そのためのアイディアが書いてあります。
・一生懸命に生きたものは、納得して死を受け入れることができる。
・心の張りがあるとボケないから仕事はをする(有用な人であり続ける)
・老いを自然に受け入れ年齢に合わせた生活
・見栄を張ることも生命力のもと
・お洒落をすると元気が出る
・自然の空気は肺を洗う
・夢中で生きることが生きる目的である
・「ありがとう」で体は生き生きと喜ぶ
・自分で自分の心にいい暗示をかける
最後に到達したのは
いろいろ健康法を実行した最晩年の心境は、健康法から解放された私だったことも興味深いです。
臆病な人に限って、あれを食べちゃいけない、とか、これを毎日しなくちゃいけない、ということを人から言われれば真剣に守ります。
人が良いということに、私はすぐに飛び付いてやっていたものでしたが、それは私の臆病な性格のせいだったのでしょうね。
そんなふうに自分を客観的に見ています。でも臆病でもいいのだと思います。それで健康に暮らせるのだったら。
いろいろな健康法を試した私でしたが、ある時、好きな物をほどほどに食べる、つまり、腹八分目に食べる、という平凡な真理に気付いた時、私は迷いから吹っ切れたかのようにあらゆる健康法から解放されたのです。
この平凡なことがなかなかできないのですよね。
腹八分も難しいです。
好きな物がジャンクフードでなく、本当に身体が求めているもの だと悟るのも、年を重ねてこそではないでしょうか。
自分の本職である書くためには健康でなくてはと思い、実践された健康法です。
人生を長く愉しいものにするための智慧がたくさん詰まっています。
私は長くはなくてもいいのですが、自分が愉しく周りの人も愉快にできたらどんなに素晴らしいかと思います。
周りの人もってところが、む・つ・か・し・い