ヨギーニめざす  ほいみんの日記

断捨離から始まり、今はヨガとインド哲学へと関心が移っています。60歳過ぎてヨギーニをめざしています。

清澄白川公園でハタヨガ ここはどこ?松と岩がたくさん

うちこヨガ in 歴史的建造物


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今日は久しぶりにうちこヨガに参加。それも銀座でなく清澄庭園での開催。


初めての清澄庭園

地下鉄清澄白河駅すぐにある公園。入園料は150円で外国人観光客の方もいらしてました。

岩崎家(三菱財閥)の社員の慰安や貴賓を招待する場所だったそうです。 


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大きな池の向こうに、築山などが見えます。凝った岩と松の形が素晴らしい!富士山を模した小山もありました。


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池の向こうに今日の会場の涼亭が見えます。東京都心とは思えない深山の風景。


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これは磯渡り(いそわたり)といって池の端に石を転々とおいて、歩けるようにしたものです。この上をひょいひょいと渡ったのですが、落ちそうでちょっと怖かったです。

ヨガマットを背中にかついでいて、バランスが難しくて。

落ちた人のため(?)の救命浮き輪が用意されていて、笑ってしまいます。

お世話にならなくてよかった!

 

涼亭の畳の上でヨガ


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実はオープンエアの公園ヨガをイメージして参加したのですが、全く違いました。

ガラス張りの窓は締められて、エアコンが効いていました。

周りの縁側に出ることは禁止、それに・・・・

蚊が入らないように出入りは迅速に短時間で。

まったく閉じられた空間でのヨガでした。

 

さすが外国からの貴賓をもてなすためつくられたお座敷、窓からの眺めは抜群です。

 

畳の上に置かれた重くて大きな座卓を隅に寄せてマットを敷きつめました。

 

汗まみれになるのではと、短パンで着替えまで持っていったわたしは、ちょっと場違いな感じで恥ずかしかったです。

 

インド哲学とか瞑想とかの講話も

 

ヨガが他のストレッチなどの運動と違うのは、輪廻の考え方があるかないかではないかという話になりました。

 

インド・中国・ヨーロッパ・日本の死生観の違いなどもさらっとお話しして、最後のヨガニードラのときどんなふうに瞑想につなげていくかの解説もありました。

 

インド哲学のさわりの部分、例えば寝ている人を4種類に分けるお話なんかが面白かったです。

 

ヨガとは一心に何かに集中できて雑念が生じてこないことだとしたら、縫物をしていたり掃除をしていたりしていてもヨガしているわけですね。

 

会社の分からず屋の上司、わがままな家族に対して自分の心を乱さずになすべきことをしていることも、ヨガをしているんだろうなって思います。

 

呼吸法

時間がたっぷり(9時半から12時過ぎ)あるので、呼吸法にもじっくり取り組みました。

 

肺にたくさん、背中にも空気を入れるように吸います。

私は今もって吸える空気の量が少ないなって感じました。

そんなに肺が満杯な感じはしないのに、それ以上息を吸い込めません。

この数か月、アイアンガーヨガで胸を広げることを続けてきたはずなのに不思議です。

 

以前よりもたくさん吸えるようになっているのかもしれないのですが、比べようがありません。

以前がどうだったのか、よくわかりません。ちょっと悲しいです。

 

吸った息を止めているときに、気(プラーナ)を身体の先っぽ、皮膚の毛の先まで行き届かせるのを意識するんですって!

 

空気からエネルギーをもらう感じです。

それができたら、究極の省エネです。

 

最後にカパラバティ呼吸法をしました。

鼻で息を力強く吐き、その度にお腹をへこませます。

頭蓋骨がピカーとなる呼吸法だそうです。

元気が出てきます。

アクティベーション効果があります。

 

眠たくなったときにしたらいいのかも。

 

繊細に身体を感じて

アサナは身体を繊細に感じて、繊細に動く(動かす)練習をたくさんしました。

 

眼ヨガでは、参加者全員が池のほうを向いて眼球をゆっくりいろいろな方向に動かします。

3面のガラス窓、どこも池とステキな松と岩が見える最高のロケーションです。

 

セツ・バンダアサナ(橋のポーズ)でも、尾てい骨から背骨を床から上げたり降ろしたりを、カウントをしながらゆっくりゆっくりていねいに動かします。

ゆっくりの後は、倍速にして滑らかな動きも練習しました。

 

眼や背中の動きは、なめらかでなくギコギコしてしまうのですが、どこでそうなるかも観察しながらです。

 

手を上にあげてつま先立ちするのに、息を吸いながらあげた後、今度は息を吐きながらあげてその違いを感じたりもしました。

眼を閉じてポーズを取ったらどうか試してみて、どんなに目の力を頼っていたかに気付いたり。

 

繊細に身体を観察することは、物事を繊細に観察することとつながるのかしら。

そして、観察することから自分で頭で考えることの訓練になるのかも。 

 

ヨガニードラ

メニューの最後はヨガニードラ。

寝ながらの瞑想で、ガイダンスに従って身体のパーツを順番に意識していきます。

でも、眠ってはいけなくて、眠りそうで眠らない意識の状態をキープします。

 

実はヨガニードラを辛いと思ったのは、今回が初めてです。

 

今までは、アシュタンガのプライマリーハーフをベースとしたアサナでヘロヘロになるまで身体を動かした後なので、邪心なく横たわることができました。

 

今回はゆったりとしたハタヨガだったこともあるので、横になっても頭が軽くなりません。

連日の暑さで肌が敏感になっていることもあり、手足のあちこちがチクチクして気持ちを乱してきます。

 

無視しようとすればするほど、そのチクチク感が大きくなって我慢できなくなってくるのです。身体を動かしたくてたまりません。

 

ヨガニードラは動かない、モーションレスの練習だから、我慢します。

 

うちこさんのガイダンスに集中しようと努力しては、からだのチクチクに引き戻される、そんなせめぎあいを続けていました。

 

実際に湿疹やあせもがあるんではなく、妄想のような感覚なのです。

 

日常で自分でヨガニードラをしようとしても、ときどきこの感覚に悩まされます。

 

動いているときには意識しないのだから、横たわって静かにしていても無視できるはずなのですが、むつかしいです。

 

それだけ瞑想が難しいという事なんでしょうね。

 

ヨギーニをめざして

開催場所のせいもありいつものアイアンガーと違うヨガで、小旅行をしたようです。

 

そして、ヨガが日常すべてに関係していることを改めて思いました。

アイアンガーでも細かいアライメントを確認させられますが、あらゆることの微細さに気を配ってていねいにすることが、ヨギーニなんでしょうね。

 

そういうていねいさをキープするためには、たくさんの「物」「情報」に囲まれていては無理です。

必要なもの、自分にとって大切なものを選んで少なく持つことでしかできません。

 

「人」もそうだし「趣味」「仕事」なんかでも、本当にそれが必要なの?大切にすることでほかのことが犠牲になってもいいの?って考えながら暮らしていきたいです。

 

連日の暑さの中でも、ヨガは私にとって大切で出かけたい場所だったのだと再確認しました。

 

お金も時間も体力も、今はヨガのために使うことが楽しいです。