ヨギーニめざす  ほいみんの日記

断捨離から始まり、今はヨガとインド哲学へと関心が移っています。60歳過ぎてヨギーニをめざしています。

『魂の退社』稲垣えみ子著 お金がなくてもハッピー

筆者のこと


f:id:hoymin:20170514134131j:image

50歳で会社を辞めるまで、ほぼ順風満帆にきた元朝日新聞編集委員

会社を辞めることを考え始めたのは、40歳くらいの時。

人生の折り返し地点、上ってきたこの坂はあと下るだけ?と考え始めたときからです。

知力体力財力を、失っていくことに耐えられる心の準備がないことに気がつき、それらに頼らないでも幸せでいることを考え始めます。

 

結婚せず、仕事にまい進し、高額なお給料で好きなもの買い放題の生活だったけど、その幸せって永続的ではないです。

自分以外の物に幸せの価値を求めることは、いつかそれを失う苦しさに襲われるということです。

 

お金がなくてもハッピーなライフスタイルの確立を目指す・・・・

ただでさえ老女が、一人で生き抜くのは簡単じゃないのだ。せめて晩年の心の平安を保つためにも、これだけは何とか探し出さねば大変なことになる。  P.44 

具体的な方法がわからないまま、筆者は都会から地方都市への転勤を命じられ、そこでお金がなくてもハッピーのモデルを見つけます。

 

生きるだけならシンプルにできる

田舎生活で「楽しみを見つける」ことに真剣になり、農産物の直売所に通うことになります。そこでは、季節物しかありません。それは「ない」ことの幸せだということを発見します。

それまでなかったから、季節とともに旬の作物に出会えることに喜びがあります。

何でも手に入れることができると、「ある」になれてしまい、喜びもないのです。

 

そんな発想の転換をして、「あるものだけ」で楽しむことを続けていくと、そんなに欲しいものがないことに気がつきます。

 

「ない」幸せを追求していくことで「自由」になっていくことになります。

もしかして、「なければやっていけない」ものなんて、何もないんじゃないか。

 そう気づいた時、私はものすごく自由な気がしたのです。

その状態を例えて

 チューブにつながれていれば、必要な薬や栄養が着実に与えられて命をつなぐことができます。しかし一方で、ベッドから起き出して自由に動き回

ることはできません。

 

そして、生きるだけならシンプルにできると確信していくのです。

 

頭で考えたのではなく、田舎で生活しての確信だったのが強いのだと思います。

 

季節ごとに、また天候によってまったく違った表情を見せる自然。その中を一人そっと分け入っていくと、一歩先になにがあるのか想像もつかないことばかりである。

 こんな驚きと苦労と感激の連続を知ると、テーマパークやゲームなど、高いお金を払って楽しむ人口の娯楽がショボいものに見えてくる。・・・しかもそれを楽しむのに1円のおかねもいらない。

 

ほしいものがない、購買意欲がないと経済的には回っていきません。だから、これも便利あると楽しいと物を買わせようという情報が周りにいっぱいです。企業側はメディアをつかって、意識操作しているのです。

 

本当に必要なものを自分の頭で考えることを手放してはいけないですね。

 

私も高野山、鎌倉、有名観光地に行かなくても、近場のお金のかからないところでも楽しめるんじゃないの、とちょっと反省しました。

 

守られていた会社員

無職になると、途端に後ろ盾を失い無力になります。不動産屋さんで賃貸契約する時不審者扱いされたり、クレジットカードもつくれなくなります。

(ちなみに、私も賃貸契約や奨学金の保証人にはなれないと最近経験)

 

年金や税金、各種補助金も会社に就職することが前提で有利になります。

 

今の日本は、会社員前提というか会社員が優遇されて、会社の為に働く人間を守っています。

 

でも筆者は、そんなにも会社に依存していたことに気づき、依存しないで生きる道を選んだことに後悔しません。

 

依存をやめる

不動産もパソコンも携帯電話も全部会社頼みの法人契約だった彼女です。

個人の携帯電話の契約にてこずり、あまりの煩雑さに熱を出して寝込む事態に陥ります。

 

会社依存の悪いスパイラルを見極めて、「会社からの自立を!」

人よりも自分のほうが優れているのだと思いたい気持ち。

少しでも贅沢をして暮らしたいという気持ち、あるいは、今の生活水準を落としたくないという気持ち。

それは人が誰しも本質的に持っている弱さであり、欲だ。弱さを握られると、人は容易にコントロールされやすくなる。会社の利益という大義名分の名の下に、何でもやってしまう人が少なくないのはそのためではなかろうか。それが習慣になると、もはや罪の意識すら感じなくなる。P..176

会社依存度を下げると、本来の仕事の喜びが蘇ってくるのではという提案もあります。

会社は「修行」の場であって「依存」の場所ではない、自分で生きる力を持ちなさいということです。

 

私の場合

ここで私も自分の依存について考えました。

 

家族があり、家があり、専業主婦時代も長く、配偶者ということで自分では支払わなかった年金をもらうことができ、ずいぶん守られた生活をしています。

自分一人で立つことをしないで生きてきたように思います。

 

生き方や考え方も、親の価値観や世間体という実体のないものに縛られて、あまり冒険をしてこなかった人生でした。

 

でも、今ヨガで修行しているのは、ひとりきりで自分の身体と心に向き合うことです。

 

誰の助けも受けることができなくて、自分で体の硬さや痛みを克服していく道です。

ヨガを通じて、身体と心を鍛え、生き方や考え方を学んでいくことが、今とこれからの私の冒険です。

この冒険の道を踏み出して進んでいるのは、誰かからの指示や誘いではなく自らの意思だったことが、とてもいいことだったと思います。

 

歩み出しは遅くても、いつからでも冒険に歩み出すことはできます。

 

どんな生き方をしたいか

稲垣さんは、どんな生き方をしたいか、どんな死に方をしたいかを考えます。

 

お金がなくても、病気でも、ハッピーならいいのです。

会社依存から自立します。それから人とのつながりを考えていきます。

 

お風呂は近くの銭湯に行くようになり、そこでおばあちゃんたちと知り合い、勇気を出して挨拶をして仲間に入れてもらいます。彼女たちは「孤独で無職の先達」だから。

 

人と競争して自分だけがいい思いをしようという価値観から、あるものを愛おしんでそのなかに喜びを見出そうという価値観への転換です。

 

稲垣さんの提案は、超高齢化した日本の未来に希望を与えてくれます。

欲しいものがないから物が売れなくなり、経済的には下り坂になった日本にとってもこの価値観の転換が必要ではないでしょうか。

 

電気のこと、そして生き方

東日本大震災の後、稲垣さんは原発に依存しない生活をしたいと節電に努めます。

 

冷蔵庫も掃除機もない生活で、引っ越した月の電気料金が200円だったとか。

 

そんな稲垣さんの節電を読んで自分の行動を振り返りました。 

夜、家でヨガのアサナをしていて気がついたのです。

ヨガの練習をするとき、電気はつけなくてもいいのでは?

なんとなくテレビもつけっぱなしで、ヨガしているときもありました。

ヒーリングミュージックをかけたりしたことも。

(稲垣さんはテレビなしでラジオだけ)

 

暗い中でも、眼は自然と暗闇になれるのだそうです。

暗闇でのヨガは、より一層自分に集中できるかも。

行動してみると新しい展開が広がるかもしれません。

 

持ち物、衣類、食べ物に、より微細に向き合うことはヨガに通じます。

 

シンプルだけど、用心深く智慧ある生き方を教えてくれる本です。

 

 

 

魂の退社

魂の退社