70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

アシュタンガ 八支則からニヤマ(勧戒) すべきこと

 日常生活ですべきこと、心がけること ニヤマ 

 

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引用はインドの伝統式ヨガスクール リシケシ・ヨガシャラのホームページから引用させていただきました。

シャウチャ(Saucha)/清浄
 自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと身の回りの空間を清潔に保つことも含まれる。

心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう心がける。慈悲喜捨の精神。不幸な人には、憐憫の情を立派な人がいたら自分もそうありたいと精進し、嫉妬するのではなく敬う。受け入れ難いひとがいたら、攻撃するのではなく、距離を置き、反面教師として自分の精進にする。 

家でマットに立って太陽礼拝をするとき、部屋が乱雑になっていると集中できません。

ダウンドッグの時に目線にマットの周りに置いてあるものが入ってしまうのです。

そのたびに、太陽礼拝を中断して 片づけたくなります。

掃除が苦手な私は、このシャウチということばで、自分を律していきたいと思います。

これが一番私の身につけたい習慣です。

この言葉だけでいいから、一番目につくところに貼っておきたい!!

 

心も清浄にするのは、もっともっと大変なのでしょうけど、まずは形から外から清浄を作っていきましょう。

あれ、これって断捨離の考え方ですね。心の悩みを解決する方法として物の片づけから始めるというのが、断捨離の方法論です。

 

道は遠くても歩み続けます。

 

サントーシャ(Santosha)/満足、知足
 今あるものに、常に満足すること。自分の周りにあるもの(環境、今置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものすべて)、ヨガの基本的な思想の一つは因果律。今置かれている状況は先に何か原因があり、ここに理由があって必然であると考える。なので、あるがままそれ自体で、すでに完璧である。

今に満足できたら、幸せです。

無くなって初めてそれまで持っていたことに気がつくことが多いのですが、失わなくても持っているものに感謝したいものです。

たとえ膝が痛くても、両膝が痛くないことに感謝です。

膝が痛くても、ヨガができることに感謝です。

膝が痛くても、他の内臓的な不調がなく、風邪もひいていないことに感謝です。

 

つきつめたら、生きていること、この世に生まれたことに感謝になります。

 

自分の中に世界はあり、幸せも自分の中にあるということです。

 

タパス(Tapas)/苦行、自制
 精神鍛錬のために困難なことを実行すること。または、人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる強さを培うこと。ただし、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢す ることはアヒムサ(非暴力」に反する。
 どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うために実践する。 

 なかなか、自ら厳しい状況に身を置くことは難しいです。

今はヨガの道場に通うことが、自分を甘やかさない歯止めになっています。

外側から締め付けないと、どんどんタガが緩んでしまうのです。

 

これから季節は寒くなりますが、できる限りの回数道場に通いたいと思います。

道場に行きはじめてまだ1ヶ月ならないのですが、家でも自習をするようになりました。

これは、いい傾向だと思います。

 

それと、これは関係があるかどうかわかりませんが、数学パズルに挑戦しています。

SUDOKUという数字をマスに埋める脳トレの一種です。これをちょっとやってみたら全然できなくて驚きました。頭が働きません!

今まで関心がなくむしろ苦手な分野なのに、やってみようと思ったのは、アイアンガーヨガに通うようになったからだと思えるのです。

苦行というわけではないのですが、安易に流れない気持ちが育ちます。

SUDOKUの中級から始めたのが間違いのもとでした。

易しい問題から初めたら、コツと方法がわかってきて、どんどん解く時間が短くなってきました。

いつもと違う頭の使い方をしているのを感じて、これもアイアンガーで体の隅々まで意識をめぐらせて観察することを学んでいることと関係がある気がします。

 

早急な解決や困難を逃げる態度(大げさ!!)がなくなったのは、アイアンガーで基本からきっちり始めること、他人と比べないで自分の変化にだけ注目する態度などをなまんでいるからだと思えます。

 

アイアンガーヨガは、アーサナがどんどん完成して楽しいというものではないのですが、ていねいに自分と向き合う本物の生き方のようなものを学んでいます。

 

苦手でも、じっくり自分の能力を育てていこうという気持ちになるので、SUDOKUにも取り組めるのだと思います。

 

今まで欠けていた能力を育てている実感があり、楽しいです。

 

 ●スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心
 心を調える働きを持つ書物聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)を読むこと。
 自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇華させ、人格を成長させることを意味しています。

今は「アイアンガーヨガ 完全マニュアル」を読むのが楽しくてたまりません。

他の本がなくても、これを繰り返し読むことで満足できそうです。

 

アイアンガー尊師の伝記にも学び、ヨガの目的、健康への効果もアンダーラインを引きながら読んでいます。アーサナの名前も覚えようとしていますし、ヨガ哲学も再確認だったり新しい知識が増えます。

 

アイアンガーの認定指導員の方のブログも読み漁っています。

いままではシンプルライフ系のブログを読むことが多かったのですが、ライフスタイルもヨガという軸をはなれないように気をつけなくては。

ブログからも智慧をたくさんいただけます。

 

そのいただいた智慧を自分の生活に取り入れ、その結果なんかをこのブログでも書き残していけたら人の役にも立ちそうです。

 

イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神記念、信仰
 唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げること。 
自らに備わっている神性を信じること。
 万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。
 自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねること。 

 信仰心については、まだ考えがまとまっていません。

ただ、インド哲学で3種の苦しみがあるとします。

・自分が変わることで防ぐことができること

・人が原因となっていて、自分の側ではどうしようもないこと

・天災など自分ではどうしようもないこと

 

何か困ったことが起きたら、この3種のどれにあたるかを考えることにしています。

天災などは、悲しかったり苦しかったりしますが、受けいれるしかないと心を決めることで、気持ちが楽になり、次どうするかに向かうことができます。

 

自分でどうしようどうしようと思い悩み、どうしてなのと思い悩み恨んだりして心をふさぐことがなくなります。

 

インドの素晴らしい智慧だと思います。

 

八支則とはさらに6つ ヨギーニの道

ヤマ ニヤマ の実践の次にやっとアーサナと呼ばれる身体を動かすことが出てきます。呼吸法もそのあとに実践するべきだとされています。

つまり、道場でアーサナを学ぶ以前に、日常の生活も修練の場となるわけです。

朝起きたときの掃除から、夜入浴し、一日を反省し心静かに就寝するまでの動作と精神が無関係ではないのです。

人や物に対する自分の接し方全てです。

 

ふーーーーーー。

ヨギーニの道は続きます。