飯山への旅行
友達と飯山に旅行に行きます。
私の持っている『森林セラピーガイドブック』にも載っています。
自然に恵まれたところで、森の案内人による2時間の森林セラピーを体験し、翌日は森林ヨガを体験する予定。
とても楽しみです。
調べてみたら飯山は映画『阿弥陀堂だより』の舞台になったところでした。
以前見たことがあったのですが、アマゾンビデオのプライムにあったのでもう一度見ました。
景色の見え方が違う
以前は物語や登場人物ばかりに気を取られて、自然の描写にはあまり心が動かされませんでした。
今回は、この自然が物語の進行(登場人物の心が癒されていくため)に必要だったのだと気づかされました。
自然の移り変わり、その中の子どもたち、暮らす人々、食べ物など出てくる全てです。
一年四季の美しさ
1年を通して撮影されています。春・夏・秋・冬 それぞれ美しさがあり、人々の生活があります。
病が進む人も、癒されていく人も、時間の流れと自然の移ろいが同時進行で描写されていました。
無常ということでしょう。
無常はかなしいことでもあるのですが、季節の美しさがそれを乗り越えさせてくれます。
無機質なコンクリートの病室で過ごしていたら、人間はとても悲しいし生きる気力も失ってしまいそうです。
今までの私は自然の緑・花・空気に恩恵を受けていることにあまりにも無意識でした。
しぜんの癒す力
最新技術や知識を追い求める生活は、こころを置いてきぼりにして、きがついたらかたく小さくさせてしまいます。
自然はそれを、ゆっくりだけど暖かく解きほぐしてくれる力を持っているのでしょう。
ヒロインの女医は、立ち直っていきます。
こころも体も、やわらかく、そして強く、たくましくもなっていきます。
飯山に行って私もそんな体験をちょっとできるかもしれない、って楽しみです。
人の癒す力
映画の中では、自然だけでなく周りの人々も重要な存在です。
無邪気な子どもたちに癒されることに、私は2度目に見て初めて気がつきました。
(1回目は子供の登場が類型的で余計なものに思えたのです・・・)
人間は知識を身に付けるほど汚れていくというのがインド哲学の考え方です。
過去にとらわれたり、未来の不安に心を苦しめることのない、今を生きている子供が一番純粋で理想的なのです。
うちこさんが良く例に出す、ころんでもすぐ起き上がってニコって笑う子供です。
子どもに癒されます。
病を受け入れ、苦痛を訴えることもなく、死を受け入れる「先生」の姿は、凛として立派です。
阿弥陀堂を守る老婆は、清く深い信心で周りの人のこころを和ませてくれます。
優しい心のこもった言葉が、大きな力になります。
わたしも、他人を力づけるようなことばを口にできたらと思います。
今の私は、時として人を苦しめるような言葉を使っていることを反省しました。
暖かさ
日の光の温かさのある映画でした。
雪の景色でさえ、日差しは暖かい。
人々も温かくて、嫌な人は出てきません。
現実にはそういうわけにはいかないでしょうけど、自分からでも暖かさを出していくことはできます。
もう一度見てよかったと思いました。
また見たら、もっと暖かく思えるかもしれないです。