神戸の殺人事件が題材になっている。あまりにそれとわかる事件だけに、事実とフィクションの区別がつきにくい。
成育歴とかカウンセリングの内容とか、他の実録出版物からの参照なのかと思いながら読んでしまった。
読み終えてから、事実はどうなのかと確かめたくなってネット検索をしたのだけど、いままで踏み込んだことのない世界を覘くような後ろめたさを感じた。
作者にとっても、重い自分の「中身」をさらけ出すような痛みを伴った作品ではないかと思う。
作中の加害少年は人間の「中身」を見たい衝動をさえきれず、犯行をエスkれーとさせていく。
作中にも作者を思わせる小説家をめざし女性も描かれている。
小説家って、ここまで苦しいのかと思った。
作中人物も、小説家になるまでも苦しかったけど、なってからもさらに苦しんでいる。
登場人物たちがすべて苦しんでいるような小説なんだけど、救いはあるんだろうか?
日常の何でもないことが幸せで、失くしてその喪失感を感じるのだけど、いつまでもその感情って同じ程度で続くものだろうか?
例えば、恋愛成就の幸福感なんて、続くはずないのだし。
時が解決してくれるって思うけど、それって甘いのかなぁ。
時が解決してくれない、人間がお腹の底に抱えている、どうしようもない醜い無力な「中身」をえぐりだし描写しつくそうとしている。
それは、誰かよその人ではなく、自分でもあり、みじかな人たちのなかにもあるものとして。