ひざを痛めてもう2か月になる。
そのうち治ると思って、あまり気にしていないけど、長引いているからちゃんと向き合わなくちゃっていうことかな。
けがをしたら、そこにも学びがあるということ。
どうしてけがをしたかと言えば、がさつで慎重でなかったから。
そのあと、ヨガの練習のたびにけがしていますと申告し、無理しないようにと言われている。
ヨガの講師の先生の声掛けもいろいろあるけど、自分で考え実行しなくては意味がない。
膝のサポーターを買ってみたけど、毎日しないからいつの間にかどこかに行ってしまった。
毎日の膝の具合を「微細」に観察すれば、どのようなポーズや使い方をしたとき痛いのか、
以前よりよくなっているのか変わらないのかもっとわかるはず。
痛いのは私であって、他の誰にもわからないのだから、自分で責任持つしかない。
そんな簡単なことも自覚せず、なんだか人任せ、時間任せ。
これじゃ、主体的に自分の頭で考えて生きていくとは到底言えない。
けがと向き合うとういう小さなことからも、生き方を見直すことにつながる。
日常の生活を丁寧にする、というのは、身の回りのいろいろなことから学んでいく視線をもつということかもしれない。
外にばかり目が向きがちだけど、身の回り、そして自分の内面へのまなざしに、豊かな知恵へのヒントがありそうだ。