ギーター読書会の宿題から
2-63
怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生ずる。
記憶の混乱から知性の喪失が生じ、
知性の喪失から人は破滅する(上村版)
怒りに気が迷って妄想を生じ、
妄想によって記憶が混乱し
いままでの教訓を忘れ 知性を失う
その結果 人はまた物質次元に堕ちる(田中版)
例
些細なことで口論となった時、言った言わないの水掛け論に
なることがある。
相手を説き伏せようとするが、権力争いを続けるだけで解決にはならない。
ギーターのこの部分を読んで、その仕組みがわかった気がした。
そして、勝とうと思わないことにした。
怒りからマーヤーが生まれてきて、記憶の混乱が起こっている。
だから、これからそういう事態になったら、相手に正しいことを
教えようという態度を捨てて、様子を眺めることにする。
負けず嫌いという相手の性格を変えるのは難しい。
その事態に、自分の心の問題として、
「今相手は、記憶の混乱が起こって知性を失っているのだな。
こちらの言葉は受け入れない状態だな」
というふうに、眺める自分に変わることはできる。
勝ち負けや正しい正しくないの二元論を超えるって話にもつながる
のだろうけど、そこはまだ腑に落ちない。
私のほうが正しいと思うけど、争うのはやめておこうという段階。
(後日)
良く考えたら、本当に私が正しいとは言えないことに気が付いた。
正しいと思っていて、あとから違っていた経験がある。
大きく歴史上のことでも、見方・立場・時代が違えば、正義も違ってくるのはあたりまえ。
勝ったと思っても、それがずっと続くわけでもない。
勝ち負けや正しい正しくないにこだわるのはやめよう。
勝たなくてもいいし、相手を理詰めで打ち負かす必要もない。
そう考えれば、心が軽くなる。
相手を責めるより、そんな自分の心の動きを見つめることのほうが重要なのだ。
(後日)
良く考えたら、本当に私が正しいとは言えないことに気が付いた。
正しいと思っていて、あとから違っていた経験がある。
大きく歴史上のことでも、見方・立場・時代が違えば、正義も違ってくるのはあたりまえ。
勝ったと思っても、それがずっと続くわけでもない。
勝ち負けや正しい正しくないにこだわるのはやめよう。
勝たなくてもいいし、相手を理詰めで打ち負かす必要もない。
そう考えれば、心が軽くなる。
相手を責めるより、そんな自分の心の動きを見つめることのほうが重要なのだ。