70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

「ということかも」の多様

昨日ブログを書きながら、きがついたこと。

「ということかも」という語尾が多いこと。

書きながらも自分で気が付き、これは自分で自信がないからこういう書き方になるんだろうなと思った。
きっぱりと言い切ろうかとも思ったが、言い切れない自分をそのままに表現しているのだからと書き直さなかった。
きょうUさんのヨガ日記を読んでいて、気が付いた。このまま放置してはいけない心のむけ方だって。

「かも」とあいまいにするのではなく、「それってどういうこと」って探って見定めていく生き方が主体的に生きるっていうこと。
心をしっかり見つめること、立ち止まって心を見つめる、丁寧に見つめることをしよう。
そんな気持ちで今日のことを振り返ってみた。
今日、夫の言動を注意した。
「~ ~ しちゃダメ」といういい方はやめて「~ ~ したほうがいいよ」といういい方をしましょう!なんて提案した。
自分では気が付かないだろうけど、なんて偉そうに言った。
でもでも、自分だって気が付かない癖を、昨日ブログで書いたこと
で見つけたばかりなのだ。まず先に私こそ「決定せずうやむやな
ままで責任を取らない甘やかし癖」をなおさなくっちゃ。

そう思ったら、夫のむかつくようなあれこれも、許せるようになる。
むかついて腹立たしい口調で言い返すと、お互い気持ちが荒んでいく。
「ま、こっちもたいそうなこと言える人間じゃないし」とわかっていると、お互い様と笑ってすまされ心もじんわり暖かくいられる。

足るを知るって、ほんとうに幸せの秘訣だな。