70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

肉体は乗り物

朝、目が覚めたとき、いつもならリモコンでテレビをつけるんだけど、今日は自分の頭で考えることにした。

テレビをつけることは考えることを放棄する、そこまで厳しくなくても考えないことだから。
起きてヨガをしなくちゃと思うけど、ぬくぬくと布団の中でテレビを見ている自分は肉体を甘やかしている。この肉体が私の乗り物だとしたら、よく動くようにしたほうが自分のため。そんなことをつらつらと考えているうちに、うちこさんが繰り返し書いていることが少しずつわかるような気がした。
この肉体は私自身ではない。
甘やかして、使い物にならなくしているのは、私の心。
その心もまた、私自身ではない。
心を甘やかしているし、体も甘やかしている。
身体を甘やかすことを通じて、心の甘やかしを直していける。
つまり、体をコントロールすることで心のコントロールしているという、ヨガの哲学ってこのことをいうのかも。
虚弱な体だとしても、それはあたえられた「どうしようもないこと」
でも、その変えられない前提を「自然災害のように」うけいれて、なおかつ主体的に改造できるところは自分で鍛えようというのがヨガなのでは。
具体的におもったのは、腸が弱くてすぐ下痢するのは、生まれ持った体質。
なら、食べ過ぎず、体調に気を付ければいいだけのこと。
事実を認めて、対処の仕方を自分に考え実践することで問題はなくなっていく。
考えない、実践しないことが問題なのであって、もって生まれた体質なり肉体そして容姿も負の要素ではない。生きていくにあたって、自分の足を引っ張るものではなく、この肉体を乗り物として今生をどう生きるかを考えればいい。
だから、自分の肉体と向き合うだけであって、人と比べることもない。
自分とひたすらむきあう。
肉体に向き合うことで自分と向き合う。
いままで、読んだり聞いたりしていたことが、パズルがはまった時のような感覚で「これのことかも」と気が付いた。
昨日の夜、ヨガニードラのサンカルパで唱えたことが、深層心理に入っていて今朝の気づきに導いたのかもしれない。
サンカルパでは、たしか「肉体は乗り物」って唱えたような気がする。
朝のうとうとのちょっと瞑想状態だったということかも。
書き留めておく気持ちになって、ブログ再開。
歯がとれて困り、歯医者さんに予約を入れる。
取れてしまった歯を元の場所に一生懸命押し当てて、取れないように祈る。
翻って、今歯がとれていないことに感謝。
起きてすぐ、物語コーポレーション小林さんにメールの返信。
書きあぐねていた返事だけど、感謝の気持ちで「感謝」を伝える。
気持ちがすっきりした。