70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

ヨガ断捨離合宿その3

もっとストイックにヨガ行法を

心の姿勢を正し、心の呼吸を完全にし、心の血を清めるには・・合理性と宗教性、すなわち人間的自然性をみにつけることです。宗教心とは、感謝する心、お詫びする心、奉仕する心、下座する心の四つであると思います。・・・私たちの心の姿勢を乱し、心の呼吸を乱す最大のもの、それは感謝とお詫びの心の欠乏です。心の血を濁す最大のもの、それは奉仕の心と懺悔の心と学ぶ心がかけていることです。

ヨガをすることによって何を望んでいたかというと、「健康」で「楽しい生活」だったような気がする。優しい気持ちになっていくのは良いことだと思うけど、こんな奉仕するストイックな物だったとは!!佐保田鶴治のヨガの本には、ヨガは宗教ですと何度も書いてあった。この合宿にきて、まさにヨガが宗教だって言うことを何度も思い知らされた感じ。

でも、だからって「断捨離」が宗教ではない。ヨガでの断捨離行はとてもむつかしい修行だけど、その取りかかりとして物に焦点を合わせて出来ることから始めていくハードルをひくくしての行動哲学。って私が気がついたようだけど、これもやましたさんの本に書いてあった気がする。

本を一度読んだだけでは、見逃していることがたくさんある。自分が気がついたと思っていることが、実は本の中に書いてあったことの追体験でしかないことがよくある。でも、そういう追体験をつみかさねて、身体に染みつき、腑に落ちていくことなんだろう。

合宿の講座ではどんどん考察が進んで、「解脱するには出し切る生き方」そして「自分のいただいているものを出し切ろうとする心、捧げ尽くそうとする心、与えられているものに対してのご恩返しをしようとする心、これが奉仕の心であります。」となる。

奉仕の心を身につけるためには、無要求、無条件、無功徳という無の心(清い心)を身につける意識的な収容が必要です。

でも最後に「真の奉仕とは何か」で断捨離に続く重要なことが語られている。

奉仕と言うことは自分を犠牲にすることではありません。・・自分の利益と他人の利益と、自分の喜びと他人の喜びと、自分の心地よさと他人の心地よさとがピタッと一つになるものでなくてはなりません。

自分の心地よさと他人の心地よさがピタッとひとつになる家をまず目指そう。

合宿で学んだことたくさんすぎて、書くの疲れる~~