今回のヨガ合宿では、言葉からして初めて学ぶことばかりだった。
繰り返し出てきたのが、感謝・懺悔・下座・奉仕・愛行 これがヨガ的生き方の根本にあるというのだ。それぞれ一つずつの言葉の解説をするだけでも、1冊の本がかけそうなくらい重い思想。沖ヨガは、単なる身体訓練とは全然違う哲学を追究する修行の道なんだ。
ヨガでは断捨離行法の一つとして断食がかならず行われているという。
時々離れてみる、別れてみる、無いつもりになって生きてみると、正しい観かた、受け取りかたが生まれてくる。物の価値、ありがた味、必要性、音、自己への協力、自分の位置、自分の責任などをしみじみと味わうことが出来る。動物は断食を自然治癒の最終手段として本能的に行っている。人間の祖先もやはり同様だったと思うが、智慧が進むに従って、精神修養にも用い始めた・・・・・断捨離行とは浄化行法である・・・
どの一つも私には実践困難な道とも思われてしまう。
この道場でやましたさんも修行したんだと思うと、先生の気持ちの強さは生半可な物ではないことが察しられた。
究極の目的は絶対的自由性と創造性を内容とする解脱に至りうる悟りを体得して、安心して頼ることの出来る自分、また他に対しては自他を最高に活かしうることの出来る自分をつくることにあります。
こういう思想があるから、朝の般若心経のど強に繋がるのだろう。このよのものはすべて「空」であるという教えと悟り。柳澤桂子さんの本で出会った般若心経にココでも出会い、その世界への理解がちょっと親しみやすい物に出来たのは私にとって収穫。
哲学の話は難しい・・・・断捨離がこんなにも奥深い物だったとは・・・・・でも着手点は身近なところから、というのがやましたさんの断捨離。物の片付けから始まって楽しんで出来るんだから、それが精神世界まで繋がっていける道だとしたら「もうけもの」そんな感じがしてきた。