70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

物が少ないと実感できる幸せ

テレビで谷村新司が森の中で歌っているのを見た。そして、自然の中にはいろんな音がある、普段の生活ではそれが聞こえない、ってなことを言っているのを聞いて思ったこと。

たくさんありすぎることの弊害。たくさんの音に囲まれていると優しい自然の音を聞くことが出来ない。それと同様に、物に囲まれているとその物のありがたさがわからない。何もない空間には、庭や道ばたの草花を摘んできてコップに挿してもその美しさに感動することが出来る。でもゴッタゴタの台所にそれを置いたら、野菜くずと見分けがつかないか、存在もわからなくなってしまう。

どちらが幸せなんだろう。1輪の花を愛でて幸せを感じる生活と、何を買ってきても置き場所にひと苦労してそのうちその存在を忘れてしまう生活と。

ヨガの合宿で断捨離についての講義があったのだけど、断じてこそその価値を知ることが出来るという。食べ物のありがたさを知るための断食。断食しないとその価値をついつい忘れてしまうから、たびたび断食をするのだという。究極には空気だって、当たり前だと思っているけど無くて初めてそのありがたさを知るというのが人間なんだろう。

そんな風に考えてみたら、足りないくらいがちょうど良いのかも知れない。空気と水と食べ物はもう与えられているのだから。でも、そのあるのが当たり前だと思っていた物が、安全ではないかも知れないという状態になったのが今回の大震災だったのだろう。

でも、そんなときにも無いものを数えるのではなくて、あることを感謝するという発想の転換。断捨離は足し算なのだから。