70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

iPad依存を考える 自分と向き合うことを避けているのかも

iPadで動画

夜寝るときにはiPadで動画を見ています。

枕元に置いてずっと流しっぱなしにすることも。

夜中に目覚めて止めることも、

そのまま動画を見続けることも。

朝起きてまずiPadをつけたりしていました。

今朝から足回しをまずしてから、

iPadでは管長日記だけを聞いて呼吸瞑想まで。

そのあとはiPadを消しました。

 

やればできるものです。

朝の時間に余裕ができて快適。

続けられそうです。

 

DVDに救われた

以前不眠に悩んだことがあります。

夜中に不安になったりしました。

そんなとき、DVDで米国の連続ドラマをみて時間を過ごしました。

CISのシリーズやダークエンジェル、ERなど

全シリーズを繰り返し見ていました。

字幕版でも音が流れていると安心して眠ることができました。

悩みや困難なことに向き合うのが嫌だから、

受け身で楽しむことができる連続ドラマに逃げていたとも言えます。

日本のドラマでないから現実逃避にもってこいだったのでしょう。

英語の勉強になるからと理由をつけたりして。

 

現在はその延長?

今は不眠でもないし大して悩みもないです。

それにこの頃お気に入りのドラマが

プライムビデオで配信中止になり、

そんなに見たいドラマがなくなりました。

NCISやbonesのような、ちょっとコメディっぽいドラマが好き。

殺人や死体ばっかりだけど、

チームメンバーが個性的で仲が良く、

最後にちょっと心が和むエピソードがあるのが楽しい。

結末が分かって安心して見ることができると、

心が落ち着くのです。

 

気海丹田、腰脚足心

動画を見るのは目も使うし頭が働いている状態。

気が上半身に上ってしまいます。

「上虚下実」(じょうきょかじつ)という言葉があります。

太極拳や、ヨガや、呼吸法などで一つの理想として考えられているからだの状態です。 上半身の余分なリキミや気張りが抜けていて骨盤、腹や腰、下半身の方に力が充実している身体の状態(googl検索)

 

座禅でもそうです。

上半身は力を抜いて考えることをやめて、

下半身を充実させるのです。

動画を見たり聞いたりしながら寝るのは、その反対になるわけです。

 

下半身に気を巡らす方法をイス座禅では学んでいるのですから、

早速応用することに。

 

お布団の中で「気海丹田、腰脚足心」と唱えます。

呼吸もかかとから入って丹田に溜まり、

丹前から太もも、ふくらはぎを通ってかかとから出るとイメージします。

そんな呼吸法をしていると、いつの間にか眠ってしまいました。

此の方法を身につければ、

iPadなくても安心して眠ることができます。

頭の中の心配事や雑念を消すのに、

iPadやドラマに頼らなくてもいいってことです。

 

不安や思いわずらうことが出てきても、

呼吸に集中することでむやみに心を痛めることはなくなるのかも。

座禅とか呼吸法の良さってこういうことなのかしら。

 

あたまはたくさんの情報で使いすぎ。

頭を休ませてあげることが大切なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった1分間なのに 集中することの練習

呼吸瞑想

毎日の管長日記では最後に1分間の呼吸瞑想があります。

たった1分間でも大きな効果があると南嶺管長が仰います。

お話を15分聞いて1分間瞑想をする、それができないでいます。

コーヒーを飲みながら、朝食を食べながらのときもあります。

どうしてできないのかしら。

大切だと思っていたらできるはずなのに、

その時間の使い方を大切に思えないのかしら。

それなのに時間とお金を使ってイス座禅会に出かけたりするのは、

たんにミーハーのイベント好きなのかと反省してしまいます。

 

日常の生活の中に

禅の精神で生きるというほど高尚でなくても、

禅の学びを生かした生き方をしたいと思っているなら、

朝の30分くらい禅的に過ごしてもいいはずなのに。

本を読むだけでは駄目、身体を動かすこ大切大切って

何度もお話を聞いているのに、

お話を聞いているだけの日常で満足してしまっています。

 

足首回し

魔女トレの本を読んで足首回しも生活の中に

取り入れようと思っています。

外回し内回しを30回ずつ、

片方で60回両足だと120回になります。

 

一回し1秒かけても2分ですみます。

夜寝る前と朝起きたとき実行したいと思い、

なんとか毎日のルーティンになってきました。

でも、そのとき動画を流しているんです。

足首回しに気持ちを込めて身体と向き合う時間なのに、

何か音や画像を流しています。

なんて欲張りというか、心が散らばっているのか。


決めた!

朝の時間の使い方決めてみます。

起きたらすぐ(iPadをつけず)

足首回し。(2分)

体重測定

着替え

管長日記と呼吸瞑想(15分)

 


できるかなぁ。

これだけをまずやると決めます。

やるって意思でもって実践するのみです。

だらだら過ぎている時間を、

自分でコントロールすることの第一歩で

集中することの練習。

生きることが豊かで楽しくなる第一歩。

花は咲くことを信じている

 

 

用意周到に迎えた特別の日と豊かな収穫

イス座禅会

南嶺管長が最近力を入れて開催しているイス座禅会。

9月の回に参加しました。

7月に初参加したときは体調悪く中途退席したため、

今回は入念な準備をしました。

予想以上に残暑が続いて体力が心配なので、

終了後はホテルを取りました。

夜の混雑した電車やバスを乗り継ぐのをさけるためです。

事前にホテルと座禅会の会場の場所は下見をして、

交通機関や徒歩の時間も計りました。

当日迷うと心も焦るし体力も使ってしまい、

万全の体調でなくなるのが心配で。

 

選択をする

そこまで用意したのに前日体調に不安があり、

音訳の定例会と勉強会は急きょ欠席の連絡を入れました。

午後勉強会を出て、そのあと夕方の座禅会に向かう時間的余裕はありました。

でも、やはり2つ用事を入れるのは無理なのでしょう。

前回も定例会のあとで、汗びっしょりになってのイス座禅会参加でした。

急に冷房がきつい会場に入って、

だんだん寒気が止まらなくなりました。

 

今回は身体の方が事前に悲鳴を上げるかのように、

前日に心臓の頻脈発作の時の前兆のようなものがあったのです。

 

欲張りな心をいさめるかのようです。

どちらも大切だと思っていたのですが、

一つにしなさい、優先順位をつけなさいと言われたようでした。

 

今回は自分が差し迫って身につけたいと思い、

魔女トレの本などでトレーニングを続けて準備しているので、

イス座禅会の勉強を優先することにしたのです。

 

豊かな2時間

南嶺管長にとって4回目、私にとって2回目のイス座禅会。

最後まで参加できてとても幸せでした。

メモを取ってきて、これから日常的に実戦したいと思います。

お世話役の方から参加者へのお礼メールが届き、

イス坐禅が終わった後の皆さまの様子をみていると、優しそうななんとも気持ちの良い表情されているようにみえました。 主催者である私たちにとっても、心地の良い時間でした。

とありますように、参加者も充実した時間だったと思われます。

 

帰りのエレベータは思いがけず管長様達一行とご一緒に。

何かご挨拶

「毎日の管長日記を音読しています!」とか言いたくなったけど我慢。

「奥ゆかしさ」に欠けるから。

数日前の管長日記で、80代の夫人が写真など撮らず奥ゆかしく対面を喜んだって

書いてありました。

挨拶できなかったけど、

奥ゆかしくできたんだから良しとすることにしました。

我を押し出すのは、良くないって勉強しているんです。

 

ただ、とても近くの空間にいたことは

今思いだしても胸躍るような幸せ。

ホテルの部屋でゆっくりメモを整理

 

【管長日記】「ハイッありがとうございます」 これは強力な武器になります

寺田一清のことば

寺田一清さんは森信三の高弟だそうです。

その方の言葉を管長日記で取り上げています。

 

寺田一清が生涯でたどり着いた心境の和歌

なにごとも ハイッ ありがとうございます 
  あかるく すなほ かんしゃの道を

南嶺管長はこの優しい和歌のなかに

「仏教の、いや宗教生活の真髄が説かれている」

と言うのです。

 

この「ハイッ」の一語で、もろもろの「不平不満・グチ・泣きごと」の煩悩一掃・情念浄化の意を含んでおります。

この「ハイッ」の一語によって、比較・相対観を打破するのです。

超脱するのです。

そして絶対境へ躍入するのです。

かくして安心・立命・感謝の境涯に到り得るのです。

(寺田先生 たねまき文庫34集)

 

言霊といいますが、元気な返事は気分を良くします。

煩悩一層、情念浄化とも言えるでしょう。

もちろん盲目的に迎合するのではないです。

多少のモヤモヤが心にあっても、

それを乗り越えて明るく「ハイッ」と返事をする。

躊躇したり怠け心を振り切る言葉です。

実践、行動力の原動力になる言葉です。

 

返事がいい

私はわりと返事が良い方です。

音訳の勉強会でも指名されると「ハイッ」と返事をします。

それは、質問をしっかり受け止めお答えしますという意思表示です。

実は、

返事にはいい思い出があります。

30代になってから運転免許をとりました。

小さい子どもがいて自動車学校に通うことができず、

個人の先生について練習し試験場で受験しました。

試験場では一発合格は難しいと言われていたのですが、

私はすんなり合格しました。

その原因は「返事が良かった」からだと思います。

 

検査員の方って警察関係なので体育会系というか、

返事がいいと受けがいいのです。

 

私は検査員に指示される度に「ハイッ」「ハイッ」って返事しました。

間違えたときは素直に「間違えました」と反省の言葉を出したり。

それで、

かなり印象が良かったのだと思います。

その頃私は空手を習っていて、道場でいつも大きな声で返事をしてました。

男性は迫力のある「押忍!」ですが、

たった一人の女性の私も負けずに大きな声で「ハイッ」

 

おかげで運転免許が一発合格だったと信じています。

 

明るい声で「ハイッ」

幸せが来ると思います。

ついでにスマイル。

これも南嶺管長が何度も説いていらっしゃいます。

「ハイッ ありがとうございます。」

 

これでこの1年楽しくなりそうです。

穏やかなお正月でした

 

自分の着る服を自分で作ること 早川ユミさんのドキュメンタリー番組は自分が楽しむ生活を紹介

布作家早川ユミさん

本を2冊読んだことがあります。

洋服を作ったとき、無地の布地に何かちくちくと刺繡をしたくって。

手縫いでクロスステッチするだけで、可愛くなるのです。

 

作る洋服の形にも興味がありました。

モンペを作りたいと思っていたからです。

ユミさんは世界を旅して布と日常着を集めてきました。

布を無駄にしない工夫があります。

世界中のいろいろな地方で、

昔から工夫されていた合理的な服の形があります。

日本の和服も切り刻むことなく四角いままで後からも使えます。

 

手作り

洋服はもちろんですが、パートナーは陶芸家。

畑や田んぼで食糧を作り、それを使って調味料から保存食も作る生活。

NHKで2週にわたり生活が放送されました。

www.nhk.jp

本で読んだとおりの生活が映像でリアルに見ることができ、

肉声でポリシーを聞くことができてうれしかったです。

好きな布で好きな形に作る洋服は、

着ていてうれしくて楽しいのです。

 

パンを作りヨーグルトを育てるとからだが満足します。

私が苦手なのは畑仕事。

害虫が現われるのがイヤです。

でも虫が来ない野菜は少し作れます。

今年は青じそ、バジル、きゅうり、ゴーヤなど。

ニラは毎年たくさん収穫できます。

 

身につける物、口に入れる物、

心が喜ぶ物にしたいです。

 

冬用の洋服が充実してきました。

パーカー出来上がり

 

報酬がなくてもやる気が出るか? やる気がないときに考えたこと

勝間さんの動画

ワクチン副反応で寝ていたとき、勝間さんの動画も見返していました。

Youtubeを自動再生にしてあるので、どんどんおすすめ動画が流れます。

その中で勝間さんが

「やる気を出すためには報酬が大切、そのためのシステム作り」

のお話をしていました。

勝間さんにとって、Youtubeは毎日続くのにvoicyのやる気が出ないのは、

コメントが少ないのと報酬が反映されないからというようなことです。

 

年金は報酬ではない

そこで考えたのですが、わたしのやる気の原動力は何でしょう。

今はお金という報酬をもらうことはほとんどありません。

アルバイトは外仕事なので、コロナ禍で激減しています。

音訳はほとんどボランティアです。

それ以外は現金収入がない生活です。

ブログを書いても収入にはなりません。

 

こんな年金生活で、やる気を出すことって難しいです。

 

勝間塾ではそうならないように、

自分で稼ぐ方法を若いうちから考えるように励まし合っています。

年金収入は自分の働きとは無関係だから報酬でなく、

年金収入しかないとやる気は起きないというのが勝間さんの説。

 

わたしの場合

いつもはこんな話も聞き流すことが出来たのですが、

弱気になっているとき、

自分のやる気がないときは胸に刺さります。

どうしたらやる気が出るか、わからなくなっているからです。

自分は普段はどうしてあれこれがんばってやっているんだろう、

って考え込んでしまいます。

音訳だってがんばってもそんなにすぐ上達するものではないです。

漢検に受かっても誰かに褒められるわけでも、

資格が仕事や報酬につながるわけでもないです。

 

自己満足でやっているのかと思うと、

ふと空しくなってしまうのです。

 

元気になると動ける

そんなことを考えていても、体力気力が回復してくると

あれこれやりたいことが出てくるから不思議です。

身体も動き出します。

でも、考え込んだ「報酬」問題、

これからもわたしの引き出しに入れて、

折々の課題としたいです。

 

南嶺管長さんがよく紹介してくださる坂村真民先生の詩から

 

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

 

なぜ生きるかを考えるのではなく、

生きなくてはいけないのです。

だからどんな生き方をしたいかを、

自分で決めようということです。

 

自分のやる気を出してくれる「報酬」は

お金意外の何なのか、それを探します。

 

目の前のことを誠実に

今日は広報の音訳作業をしました。

以前よりスムーズに短時間で読めるようになりました。

チームのメンバーが少なくなったとき、

自分がスタッフとして役立つようになったのも感じられました。

与えられた目の前の仕事を仕上げるために誠実に全力を尽くす。

そんなことを続けていくことができる、

今の環境を幸せだと感じます。

 

日々成長を感じられることが、即報酬と感じられるといいですよね。

元気なときには、それで満足出来ているのかもしれないです。

 

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小物作って小さな満足 ケーブルホルダーです

 

ヨガの道 求めるもの そしてやめられなくなるそうです

過去の下書きから

はてなブログには下書きの機能があります。

以前の下書きを読み返すとこんな記事がありました。

その頃通っていたアイアンガーヨガセンターの先生の言葉です。

ヨガで求めるもの

自分に出会う

自分の体に出会う

固かったり痛かったりするところ

本来の自分の姿に正しい姿勢になる 健康になる

体が開かれると心も開かれる

細胞のひとつひとつが開かれる

細胞の奥に住んでいた昔の想いなどが開かれて涙が出てくることもある

そのうち何だか悲しくなって心がしぼむような時もある

それを突き抜けた先にあるヨガの道

その快感覚えたらヨガはもう止められない

 

体の使い方がわかり、風邪の前にはもうすぐよくないなとわかるようになる

 

それから

センターに通わなくなって丸3年がたちました。

細々とですがヨガは続いています。

佐保田先生に連なるヨーガに通い、精神的には禅に惹かれています。

オンラインのB-ライフでまりこ先生のヨガにもなじんでいます。

ヨガセンターに通った時期は深くヨガにコミットした濃密な時間でした。

精神的肉体的にハードで続けられなかったのですが、

そんな時間があっての今の自分です。

音訳で自分の至らなさに身の縮む思いをするとき、

ヨガセンターで先生に叱られたときのことを思い出し、

あのときに比べたらたいしたことないと思えます。

 

物事はすべて相対的だって事も学んでいます。

 

ヨガセンターでの学びを思い出しながら、

もっと緩やかに自分に出合う道を歩みます。

 

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なにげない日常が心地いい