ヨギーニめざす  ほいみんの日記

断捨離から始まり、今はヨガとインド哲学へと関心が移っています。60歳過ぎてヨギーニをめざしています。

思い込んでいた もっと簡単でいい

卵焼き

お弁当用に卵焼きをよく作ります。

定番の味付けがあって、

 ・卵 3個

 ・砂糖 大匙 1

 ・白だし 大匙 1

 ・水  大匙 1弱

 よく混ぜて、3回から4回に分けて流し込み巻き込んで作ります。

鉄板のおいしい味付けだと思っていました。

今朝、考え事をしていて砂糖を入れただけで作ってしまいました。

 

作っているときなんだか焼き加減が違うと思い、思い返したら砂糖を入れたところで作業をストップさせていました。

良くかき混ぜることもしてなかったので、最後に卵汁を流し込んだらキビ砂糖の粒粒が溶けないままにドロッとしていました。

料理って

家族に味はどう?味付けおかしくない?ってきいてみたら、

「かえっておいしかった」と言われてしまいました。

??????

卵焼きの一番外に、砂糖味がしっかりついていておいしのだそうです。

 

私も食べてみたら、卵の焦げたところがちょっと苦くって、甘さとのいいバランスになっています。

 

料理って、ちょっと間違えても大したことないし、却って違うおいしさを発見することもできるんですね!

 

思い込みを捨てたら

分量を間違えてしまった、どうしよう、おいしくないかも、とちょっとあわてました。

でも、大した問題ではないのです。

甘すぎて味がおかしかったら、しょうゆをかければいいのだし。

 

これからは、砂糖だけの卵焼きにしてみましょう。

塩分を減らせるし、手間もかかりません。

 

その味に飽きたら、また白だし入りに戻ってもいいし。

 

思い込みを捨てて、気持ちを軽く自在に動かせた方が、心が軽くなります。

 

そんな風に、世の中のこと日常のことは、多少間違えても抜けてても大した問題ではないのです。

 

問題なのは、責めてしまう心?

今までの私は、ちょっとした間違いや失敗を大げさに感じていたようです。

自分を責めてしまうのだと思っていましたが、よく観察してみると他人から叱られることを恐れていました。

 

もうひとつ例を

先日掃除中に物を落としてフローリングに傷をつけてしまいました。

そんな時、家人に叱られることが一番に頭に浮かびました。

見つからないように、うまく隠せないかと姑息な考えさえ浮かびました。

 

そこでちょっと考え直しました。

大事なのは、それで誰に叱られる怒られるかではないです。

傷つきへこんだ床を補修する方法を考え、それ以上のダメージが広がらないためにはどうしたらいいかを考えることです。

 

自分を許すことでもありますね。許される自分が信じられるのは、人を許すことができるからです。

人を許すことができていないと、自分が許されるという想像ができなくなるのでしょう。

 

卵焼きの話から、生き方の話にまで進んでしまいました。おやおや。

 

こんな風に考えを進めていくことは、ヨガで身体を微細に見ていくことと同じ道筋なのだなぁと思います。

 

ヨガはアサナだけではなく、日常生活そのものにかかわる生き方の指針ともなります。

 

 

メルカリ挑戦 すぐ売れて驚き

フリマアプリメルカリ

家族が使っているフリマアプリ「メルカリ」を使ってみました。

はてなブログでも時々見かけて、家で眠っているものがお金になって家も片付くという記事が気になっていました。

家人も使っているので、ご招待ということで私にも家人にもポイントがつくということでアプリを入れました。

 

商品を出すのは、そのあとのお金のこととか配送とか考えるとハードルが高いです。

そこは、アプリはうまくできていて、アプリを入れてから○○時間内に購入すると200ポイント(200円分)差し上げます、というメールが送られてくるのです。

 

「200円分安くなるならいいかな」という気持ちで、まんまと支払いのクレジットカード登録まで進めてしまいました。

 

それまでもブログでメルカリ利用法を読んでいたので、プロフィールも写真入りで割とストーリーを入れて書きました。

 

特に欲しいものはなかったのですが、あれこれ考えてヨガ用品を購入しました。

未使用で定価1600円のものが1200円くらいで出ていました。

紹介されてもらった300ポイントとアプリ入れた記念200ポイントの合わせて500円分安くなるということで、メルカリ初購入しました。

 

ヨガ用品ということで、出品者もヨガのインストラクターさんでした。

やり取りをチャットのようにするのですが、それも楽しかったです。

 

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家にいるので

私に引き続いて、家族が次々体調を崩したりして出かけないで家にいる時間が増えました。

それで、家の中の不用品整理を兼ねて、メルカリへの出品もすることにしました。

実は、○○時間以内に出品すると200ポイント進呈!!というメールが来ていたのです。

出品は包装や配送方法などまたちょっと高いハードルがあります。

 

一度はそんなのしないよ! と無視したのですが、しばらくしたら人の心をくすぐるように「出して御覧なさい、また200ポイントもらえるチャンスがありますよ」的なメールが来たのです。

そのように2度背中を押されて、メルカリに出品をしました。

 

出したものもヨガのウェアとか、使いかけの化粧品など、もう捨てようと思っていたものばかり。

(アイアンガーの道場ではお洒落なヨガウェアはいりません。

下は太ももを出すブルマーで、上も綿素材を推奨されています。)

 

ブランドものだったりしたので、捨てられないでとってあった物を出すことにしました。

値段つけが難しい

処分しようと思っていたものだから、いくらでもいいようなものです。

使いかけの化粧品なんて、燃えないゴミに出すつもりでした。

 

安くっても使ってもらえればと値段をつけたのですが、後でわかったのですが配送料が高くて全然手元に残らなくなる場合があります。

配送料が大事

800円の値段をつけたウェアがすぐ売れました。定価は4000円くらいだったものです。

メルカリ手数料10%80円を引いて720円になります。

そこから配送料を引くのですが、包装して郵便局に持っていったら400円もかかると言われて、送るのをやめて家に戻ってきました。

 

送料がそんなに高いとは思わなかったのです。

 

初めて売れたので、早めに送りたかったので家に余っていた360円のレターパックに入れて送りました。

 

レターパックは家に余分に買ってあったので、使う機会があってよかったのです)

 

送料をいろいろ調べて、郵便局のクリックポストが一番安かったので早速登録して利用できるようにしました。

これならA4版くらいで厚さ3センチまで164円で全国どこへでも送ることができます。

Yahooウォレットを使う必要があるのがハードルですね。

 

送付状を家のプリンタで印刷して荷物に貼り、ポストに入れるだけです。

我が家は郵便局もポストも歩いて5分以内です。

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 *郵便局のサイトから画像をお借りしました。

 

これなら、どんどん小さな衣類などを送ることができると大安心。

 

すぐ売れるものと、残るもの

メルカリ事務局(?)からは次々とナビゲートメールが来ます。

 

・5個以上出すとよく売れますよ!

・今の売れ筋商品はこんなのです。

・売れないのは値段のつけ方で、こんな値段にしてみたら?

 

写真を撮って出品したらすぐ売れたものもあります。

POMERA DM100です。

カフェでブログを書く、本の読後感を書くという目的で購入しました。

でも、そんなお洒落な行動はできませんでした。

 

 

私はハードオフならもっと安いからと7000円で出したら、あっという間に売れました。

後からほかのサイトでの出品を見たら、値段が10000円以上ばっかりだったので、早まったかしらと後悔しました。

だけど中古だしもう使っていないのだから、いいんです。

 

見るたびに使っていないなぁ、と心が重くなっていたから。

 

とは言いながらも、もっと高くすれば良かったかと思う、欲ばりなものですね。

 

幼児用の中古衣類も出しましたが、たくさん出ているためか、なかなか見つけてくれません。

 

しばらくしたら値段を下げようと思います。

 

今のところ、2日間で9品出して4品売れました!!!

 

これから私の衣類も写真撮影して、どんどん出していきます。

 

自分を大事にすること 自己肯定感

何を出そうかと品物を出してみていて、気がついたことがあります。

着ていないけど捨てるに忍びなくてとっておいたものですが、他の人はこんなのお金出してまで着たいと思わないわ、という低品質不良品(使用感、汚れなど)が多いのに気がつきます。

 

捨てるのがもったいないという気持ちは、妄想の一つ、正しく検証していないというだけのことかもしれません。

 

他の誰も着たいと思わないだろうものを、自分がいつか着るかもしれないと思う自分の心を見据えてみたら、自己肯定感の低さなんだろうと気がつきました。

以前断捨離のセミナーで話されていたのは、このことだったと今更わかりました。

 

メルカリをきっかけに、また断捨離心が発動しました。

 

大事なこと、自分はどんなふうに生きたいかを考え続けます。

また風邪ひいたのですが、以前と違うかな?

身辺の忙しさ


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日常的に忙しいというか、何かに追われている気持ちはありました。

 

とにかく、私が倒れてはいけないという気持ちがいつもありました。

 

簡単な例を挙げると、シャバアサナをしていても、食事のメニューを考えてしまうのです。

 

就寝前も、家族のお弁当やら朝食の材料がちゃんとあるか、確認を何度もするような具合です。

 

それに加えて、ここ1ヶ月は今までにない業種の方と関わることになり、そのリサーチやら根回し、手続き書類の作成などを一手に引き受けていました。

都心に出かけて、初対面の人と折衝するようなことも何度かありました。

 

木金曜日

水曜日の夕方、とても疲れていたのですが夕食の用意をしないわけにはいきません。

明日から、家族が一人増えることにもなっています。

 

木曜日の朝にはのどが痛くて風邪ひきが確定です。何とか持ちこたえるかと思ったのですが、朝仕事をこなした後寝込みました。

 

午後からの予定は詩吟のお稽古でした。私が会場の書類を持っているし、各種の事務手続きもあるので何とか参加しようと思いましたが、無理でした。家人に代わりに届けてもらい、その帰りに総合漢方薬と栄養ドリンクを買ってきてもらいました。

生姜湯だけでは治らないみたい・・・

 

金曜日は友達との観劇予定で、もうチケットを購入してあるのですが、これもキャンセルです。

何か月かぶりに友人たちとのお楽しみだったのに。

 

月曜日には依頼されている用事があるので、そのためにも風邪をこじらせるわけにはいきません。

土曜日

今回は割と早く回復して、土曜日には昼間起きていることができました。

食事材料の買い物を車で送ってもらい出かけることもできました。

食事用意だけは、手を抜くわけにはいきません。

 

そのほかは、ヨガ道場もキャンセルして帰宅でのんびり。

夜になって、シッティングのポーズを自主練習してみました。

部屋を暖かくして、本(完全マニュアル)を参考にストップウォッチで時間を測りながら、アサナをいくつか。

 
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病気の時にもヨガをするほうが早く治るという実験をしてみたかったのです。

 

日曜日

かなり気分が良くなったので、ヨガ道場に行きました。

風邪の治りかけを申告しましたが、立ポーズまでは一緒に参加することができました。

ふらふらすることもなく、プラサーリタ・パードッターナアサナでは、鼻の通りがよくなり、スプタ・バッダ・コーナアサナでは充分時間を取り寒くないようにして胸を広げました。

気持ちよくヨガを終え、疲労感もなかったので安心しました。

 

気持ちいい疲労感で、風邪がぶり返すこともなく、ホッとしました。

 

病気の時のヨガとの付き合い方を考えた今回の風邪です。

 

どうしてこんなに風邪をひきやすく、虚弱なんだろうと思うこともあります。

 

でも、今回はもっと身体を休ませなさい、大事なことは何かを考えて、エネルギーの使い方を考えなさいというきっかけだったとも思えます。

 

たくさんのことに、心と身体のエネルギーを使いすぎているのかも知れません。

 

足元を固めて・・・

 

ヨガ道場でいつも繰り返し言われています。

 

足の三点に重心を平等に乗せ、ひざを引き上げ、腿の筋肉を骨に押し付け、尾てい骨を下げ、足を強くする。

 

上半身は力を抜き、眼も口の中もやわらかく力を抜いて・・・

 

実生活でも、力強い下半身でたおやかに大事なことを見極めながら道を進んでいきたい。

そんなことを考えた今回の風邪引きです。

 

おおきな執着 食べることのコントロール

食べなくてもよかった

ヨガ道場で先生から、「皆さん朝の食事はどうしていますか?ヨガの練習の前、今日は朝ご飯食べてきましたか?」と聞かれました。

 

ヨガをするときは、胃が空になっていたほうが気持ち悪くならなくていいのだそうです。

でも、私はいつもかなりしっかり食べます。

8時半とか9時からのクラスに参加する時も、2時間前までならいいだろうと6時くらいに朝食をとります。

 

11時45分からのクラスの時には、おなかが空きすぎると気持ち悪くなるといけないからと、10時くらいに何か軽くつまんだりします。

 

食べなくてもいいんですよね。

不安の先取り

どうして食べてしまうかを考えてみました。お腹が空きすぎて気持ち悪くなったことがあったので、空腹になるのが不安なのです。

 

それと、この頃の良くない傾向なのですが、ヨガの後強烈な食欲に負けて、大量に食べてしまいます。

お腹が空きすぎたらよくないと思って、事前に食べていてもそうなります。

事前に食べても、食べなくても食べてしまうのなら、事前には食べないという選択もあります。

 

食欲がコントロールできないというのわたしの弱点です。

大きな執着です。

 

あと思うのは、漠然とした不安を食べて(事前に準備することことで)打ち消そうとしているのではないでしょうか?

 

ヨガの後でどうなるかを考えず、動きやすいようにお腹を空にしましょうとシンプルに考え、稽古の後は一度に食べすぎないように、そしてせっかくヨガをして身体を整えたのだから体にいい食べ物を適度に食べよう、と意志の力を働かせたいものです。

 

先のことばかり心配して、余分なものをため込むことをやめようというのは、生き方の問題でもあると思います。

 

お金の使い方、時間の使い方、命の使い方、同じように考えることができます。

 

先の不安に心を煩わせず、もう取り返しのつかない過去に思いを引きずられることなく、今に生きることがヨガの教えです。

 

それにしても、食べることへの執着は今の一番の課題です。

この執着を自分で認識し意識して克服していく道は、他の物欲への執着もなくしていく道のりへとも通じていそうです。

 

ギーターに書いてありましたが、執着がなければ心は平安になるのです。

 

飢餓への不安は、人類の遺伝子に組み込まれているくらいに克服しにくいものだから、無理せず穏やかに進めましょう。

 

リバウンドしないために。

 

 

チェアサルワーンガアサナに入れました!!

体の不調を申告

道場では毎回一番初めに身体の不調を申告します。

女性の場合は生理があると、できないポーズがあります。

逆転のポーズです。

アイアンガーヨガで初めてそういうことを知りました。

もっともジムのヨガクラスとかでは、逆転のポーズまでいかないですね。

男女混合のクラスで、生理中を聞くこともはばかられるでしょう。

 

こんなところも、アイアンガーの厳格なというか細かく身体に寄り添うところです。

 

わたしは毎回手をあげて、ひざの故障を申告します。

 

少しずつ良くなってきていること、以前はできなかったヴィラアサナで座ることができるようになったなど変化も伝えます。

良くなったので、ウッターナを少しやってみたらやはり痛くなったことも伝えました。

 

無理はしないよう、座るときは坐骨を高くして組んだ脚にはサポートをするように指示されます。

だから、練習中他の人と違うプロップスの使い方を自分でも考えてできるようになってきました。

 

いつまでも指示されてするのではなく、理論をわかり自分で考えることが道場では求められているのです。

これは、生き方についても同じですね。

 

ヨガを学びながら人生も学んでいます。

 

入門クラス

入門クラスは、道場に通うことと道具の使い方になれることを目指します。

上級のクラスでは、アサナの名前を言われたら、それに必要な道具を用意して自分ですばやく準備しなければなりません。

それができるように、サンスクリット語でのアサナの名前を憶えることが手始めです。

初心者向けの本とかスタジオでは、日本語のアサナ名ですよね。

その方がわかりやすいです。「肩立ち」とか「鋤のポーズ」とか。

 

アイアンガーでは、ブランケットやブロック・ボルスターをたくさん使います。

その畳み方や枚数、置き方は身体に一番効果があるように決められています。

その上、個人の体格でも調整が必要になるので、自分に最適な準備を覚える必要があります。

 

私の場合は、ひざを痛めているので他の人は2枚でも3枚ブランケットを使います。

体調によっても必要なポロップスが違ってくるという繊細さもあるのです。

 

入門クラスでは指導の先生やアシスタントの方に教えていただけるのですが、上級のクラスではたくさんの参加者がいるのでそういうわけにはいきません。

(部屋いっぱいに定員30名で、キャンセル待ちまであるようです)

 

それらを入門クラスでしっかり覚えて、なおかつ筋肉も強くなり、身体も動けるようになってからほかのクラスに参加できるようになるのでしょう。

わたしもそれを楽しみに、練習に励みます。

 

別メニュー

入門クラスでも、何人かは別メニューになります。

膝の悪い私は、立ポーズは壁をつかいますし、風邪からの回復期には楽な練習内容にしていただきました。

体調が悪い時には、無理をしないことも徹底されます。

 

経験年数や年齢とか体力も考慮されています。

 

私は入門クラスでも、最後のほうはいつも別メニューでセツ・バンダアサナを長くしたりスプタ・バッダ・コーナアサナをしていました。

 

膝が痛いだけだから、肩立ちのポーズ(サルワーンガアサナ)は参加できるのではないかと思いましが、足とかの力が弱いからまだ参加できないのかなって理由を考えていました。

 

初めての許可

先回はじめてチェアサルワーンガアサナに参加できました。

以前他のヨガスタジオで経験したことがある、折りたたみ椅子を使ってのアサナです。

 

形に入るのはできたのですが、ポーズを持続するのはちょっときつかったです。

私がまだ参加できなかったのは、この持続する力がついていなかったからだとおもわれます。

 

ステップを踏みながら、身体に力と柔軟性をつけながらアサナが進められるのでしょう。

 

ただのリラックスと思っていたセツ・バンダアサナも、胸を開いて身体を柔らかくするためのアサナで、次に進むステップだったのだと思われます。

 

今までも肩立ちのポーズということで、いろいろなレッスンや自宅でもしたことがあります。

それは、似た形だけを目指していたのだなかと思いました。

 

アイアンガー師はこのアサナを解説して

このアサナを練習することにより、心は身体と魂に統合する。脳は聡明かつ冷静で、身体は軽く感じられ、喜びにあふれた輝きに満たされる。逆転のポーズは首と胸のまわりに新鮮で健康な血液を循環させる。このポーズは気管支疾患を緩和して、甲状腺副甲状腺を刺激する。(完全マニュアル)

 こんな効果があることを理解してアサナに取り組むことで、もっと効果的にアサナをすることができます。

 

一つ一つのアサナを大事に、これからも練習していきます。

 

20日ぶりのヨガ道場でからだ喜ぶ

久しぶり

家族や自分の身体の不調で、ヨガセンターに行くのが20日ぶりになってしまいました。

その間、気持ちも下向きでただただ家に引きこもっていました。

ヨガセンターに行けなくても、家で自主練習をすることもできるのに、それも先延ばしにして、すきな外国のテレビドラマを次から次に見ることで時間をつぶしていました。

 

身体に聞く

身体を甘やかしているのか、体調が戻らなくて動き出すエネルギーが湧いてこないのか、どちらなのかわかりませんでした。でも、おもいきり甘やかすことにしたのです。

最小限の家事だけをしていました。

食べることは大事だからと、3食はしっかりつくりました。

環境も大事と、少し気分が良くなると寝具の洗濯や部屋の掃除もしました。

 

以前風邪を引いた時、治りかけに入浴してぶり返したので、お風呂には慎重になりました。

 

そんな風に暮らしていても、困ることはありません。

家事って、最小限でもなんとかなるものです。

 

いままで、忙しくしていたのはなんだったのかと思うほど、家の中で静かに暮らしました。

 

ヨガセンターに行きたい気持ちも抑えたのは、欲を抑えているのだという実感もありました。

動き回る、出かけるという欲もあまりでなくて、穏やかな心でいることができたように思います。

そんなに欲張らなくてもいいのだと、思えました。

 

道場

昨日、久しぶりにヨガセンター行くことができ、ここは私の道場だと改めて実感しました。

気持ちのいい空気と、先生と、参加者に、心が清められました。

身体も、気持ちよく開かれリラックスし、エネルギーが湧いてきました。

 

私の生活の中心に置き、今年はアイアンガーヨガを深めたいと心に誓いました。

遅くなりましたが、今年の目標を見つけることができました。

 

他のことに気持ちを動かさずに、大事にするものに集中しようと考えました。

携帯のゲームやSNSなど、あれこれ手を出していたことを断捨離しました。

 

具体的には、ポケモンGOを削除し、FaceBookやTwitterもやめることにしました。

道場への行き帰りのバスも、そこからもうアサナのことを考えたりその日の稽古を復習したりして過ごすのです。

 

なんとなく取り入れていた情報や時間つぶしのお楽しみをやめて、シンプルに暮らすことにしました。

 

生活の中心にはヨガ道場を置くことにします。

 

胸のゼコゼコ

長引いた風邪は、最後に胸のゼコゼコが残っていました。

痰が残っているようで、咳払いをするそれがきっかけで少し咳き込んでしまうのです。

それが、回復後初めてのヨガで胸を開くアサナを長めにしたら、きれいになくなりました。

 

実は病気の最中にヨガをしたらよいかわからないし、する気持ちにもならなかったですが、回復のためにもヨガをしたほうが良いようです。

 

道場で風邪の時もしたほうがよいアサナを教えていただきました。

ただのリラックスかと思っていた、セツ・バンダアサナやスプタ・バッダ・コーナアサナが身体を整えるアサナなのです。

 

ヨガに対する認識をあらたにしました。

 

「ミス・シェパードをお手本に」 生き方のお手本をどう見るか

映画のあらすじ

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女性雑誌で評判の良い映画「ミス・シェパードをお手本に」を見てきました。

ホームレスで路上駐車のバンで暮らす高齢女性のお話です。

 

ほとんどが実話だというのですが、この偏屈な女性を自分の家の庭に駐車させて14年間共に暮らしたという、劇作家とのお話です。

 

過去に何かありそうで、ミステリアスな言動があります。

 

予告編でも、物思わせぶりにパリでのピアノ留学のエピソードがありました。

 

評判ほどでは

でも、そんなにドラマチックな出来事が描かれるわけでもなく、終わった時には物足りなさを感じました。

実話なんだから、そうなんでしょうね。物語を無理やり作っていません。

 

わたしは彼女の栄光の過去が明らかになって、ものすごく感動するのでは、と期待していたのですが、そういう話ではないのです。

 

見た後、元気が出る(彼女の生き方に元気をもらえる)のでは、とも期待したのですが、それもなかったです。

 

同じだと思ったこと

最後の劇作家のモノローグの言葉が心に響きました。

「彼女は物語を作ったのではなく、彼女の生き方そのものが物語だったのだ」

というような言葉でした。

その時私が思ったのは、ひとは大きなドラマがなくても、そのおかれた場所で精いっぱい生きることで、ひとりひとりがそれぞれの物語を作り上げていくのだということです。

 

物語は向こうからやってくるのではなく、自分で作り出していくという主体的な生き方をしたいです。

 

映画のヒロインはカトリックで、その修道女見習いをしていたということです。

カトリックの教義をよく知らない私は、ヒロインの心持ちが今一つわかっていないかもしれないです。

 

でも、日本のカトリック修道女の渡辺和子さんの「置かれたところで咲きなさい」という言葉を思い出しました。

 

同じようなことを言っています。

 

置かれた境遇を愚痴るのではなく、その場で自分らしく生きて最後に笑って見せた主人公は、「臭いオンボロ車」という場所でも咲いていたのでしょう。

 

有吉作品でも

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有吉佐和子作品で「私は忘れない」をちょうど読み終えたところでした。

昭和34年の新聞連載小説でした。高度経済成長に日本が浮かれているころ、離島では電気もままならない、テレビもない生活をしていました。原始的という言葉さえ出てきます。

 

スターを夢見るヒロインがそんな離島に滞在し、離島の厳しい生活とたくましく生きる島の人たちを知ることになります。

 

自然の猛威を何度も受けて、それでも助け合って生きている島民の姿に心打たれ、ヒロインは自分の置かれた立場で文句を言わず精いっぱい頑張ろうという気持ちになります。

 

映画のヒロインとこの小説のヒロインに共通するのは、ないものねだりをやめるということではないでしょうか。

 

自分に置き換えてみました。

今の家族・職場などの環境に文句を言わないことがまず一番ですね。

自分のできる精いっぱいのことをして生きることで、自分の物語を作っていけます。

 

他人任せ、他人のせいにしない生き方です。

 

私がわかっていないのか

映画を観終わってちょっと失望した私ですが、この映画で描かれていたことをわかっていなかったのかと反省しました。

 

日常生活の小さなことの積み重ね、心の機微を描いていたのに気がつかず、大きな事件を待っていました。

 

日常生活を丁寧に、というのが私の望む生活だったはずなのに。

 

日常をひたむきに

映画のヒロイン ミス・シェパードもたぶん体が痛いところもあったりしたでしょう。

不良たちに怯える不安な夜もあるなかで、安易に甘えず、自分のやり方と生き方を通してひたむきに生きました。

 

最後に「きれいな手だから」と劇作家に手を差し出した時、彼女のそれまでは汚いからと遠慮していただろう気持ちに気がついて、切なくなりました。

 

もう一度見たら、もっと細かいところまで鑑賞できるかもしれないです。

 

わたしには家があり、自分で掃除もできることに感謝です。

(自分の思うようにできないところもあるけど、自分の気持ちだけできれいにできるところがたくさん、たくさんあるのに、目をつむっています。反省。)