70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

有吉佐和子 ひたむきな女性を書き、ひたむきに生きた人

読書室

 
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元司書の方を講師に女性作家と作品について学ぶ会で、事前に作品を読んでいかなくてもよくて、お茶とお菓子も出る気軽な会です。

 

もう数年続いているので、たくさんの女性作家を取り上げ、その作品と作家の生き方を取り上げてきました。

 

講師の方の準備がすばらしく、明治から昭和にかけての女性作家の生まれた年と死んだ年を年表に並べてくださいました。

同時代に誰がいたのか、終戦の時何歳だったか、などが一目でわかります。

 

終戦の時、子供だったか、思春期だったか、数年の違いでものの考え方を大きく変えてしまうようです。

 

作家の生い立ちを知ることで、作品に込められている思想を探る手がかりになります。

 

有吉佐和子

今回取り上げた有吉佐和子は、昭和20年の終戦の時、14歳で静岡に疎開していました。

本をたくさん読む早熟な子供で、父親の仕事の関係でジャワに住んでいたこともあり、物事を客観的に見ることができるようでした。

 

大学在学中から「演劇界」の懸賞俳優論で入選したり25歳で芥川賞候補となるなどし、「才女」と言われます。

でも「才女」とは実生活からではなく、頭の中で物語をこね繰り回して作り上げたというような揶揄する意味合いがあったらしいのです。

男性中心の文壇の中で、まっとうに評価されなかったらしいとは知りませんでした。

 

たくさんの映画化された作品、社会的にも影響力のある「恍惚の人」「複合汚染」などをかいていて、文壇でも大きな存在で尊敬されていたような印象がありました。女性にだけ人気だったのでしょうか?

女性の一代記って、男性は読もうと思わないのでしょうね。

 

私たち女性にとっては、勇気をもらったり、一緒に怒ったり悲しんだり、人生を豊かに生きることを教えてくれる大切な作品がたくさんあります。

有吉佐和子の作品もたくさん読みました。

 
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借りてその日のうちに読み終えました。面白い!!

紀ノ川

今回はたくさんの有吉作品のなかで「紀ノ川」「有田川」「鬼怒川」の3作品を取り上げる予定でしたが、彼女の生い立ちと「紀ノ川」だけで時間が無くなってしまいました。

「紀ノ川」は彼女の自伝的作品なので、どんな気持ちで自分の母親・祖母・そのまた祖母という女性たちを描いたかを話し出すと、話題と意見が尽きません。

 

時代の制約の中で、どんなふうに抗い、従属し、反抗していったのかです。

 

賢さ、心の深さ、弱いと見せて周りを取り込んでしまう強さなどが語られます。

 

命を削って書き続ける

有吉佐和子は幼児から病弱だったらしく、作品を書き上げると精根尽きてしまうのだそうです。作品に書いた女性同様、ひたむきに書き、生きたといえる生涯です。

 

そんな風に命を削って書くところや、死んだあとの世評が厳しかったことなど林芙美子と似ていると講師の方のお話がありました。

 

私がそれと対照的だと思ったのが宇野千代です。

同じようにひたむきな女性を書いていますが、作家の性格は明るく長寿でした。

彼女は書くことに行き詰った時、中村天風の天風会に入り「心身統一法」でまた書けるようになったそうです。

天風は日本初のヨーガ行者と言われて、宇野千代はヨーガをしていたともいえます。

 

才能のある方が命を削ってしまい、道半ばで倒れてしまうのはもったいないと思います。

かといって、みながヨガをして元気で長生きをしましょうと言うのはちょっと違います。

 

人間ってそんなに簡単単純なものではありません。

だから、たくさんの小説が書き続けられ、私たちに感銘を与えてくれます。

 

私も、「ヨガをしていれば身体は健康になり心も穏やかになって何もかも解決します」という短絡思考にならないように自戒します。

 

ちょっとヨガをしてその効果を実感すると、他人に偉そうになってしまいがちだからです。

 

 

 

 

 

アーサナの単語登録で入力が簡単に 感謝です!

アーサナ名の混乱

ヨガのアーサナはいろいろな名前で呼ばれます。

  • 下向きの犬 (日本語)
  • ダウンドッグ (英語)
  • アドムカシュヴァナーサナ (サンスクリット語

音を伸ばすかどうでも違ってきますし、子音と母音が重なる場合にリエゾンとか連音化の問題も出てきますね。

 

どんなふうに書くか、私もルールを決めていなくてその場の気分でかいていたりしました。 

 

サンスクリット語

アイアンガーの道場では、アーサナサンスクリット語で呼びます。

そしてアーサナの名前をきいたら、そのために必要とするプロップス(ベルトやブランケット)をすみやかに用意する必要があります。

サンスクリット語での名前を覚える必要があります。

一つずつ単語の意味を覚えて、その組み合わせを考えます。

 

例えば パールシュヴァ:横腹 側面

    ウッターナ:究極の伸びの強さ

    バッダ:縛られた 捕らえられた

    サルワーンガ:全身

実は今まで、最初の単語が同じなら、似たようなアーサナかと思っていたのです。どうもそうではないらしいということが度々あり、混乱していました。

意味を学んだら、そういうこともなくなりそうです。

   

ブログではどうしようか

ヨガに関することを書くとき場合によって違う表記になります。

私も、アーサナと書いたり、気分でアサナだったり。

その時私の頭の中で話している先生の口調や、その知識を得た本によってちがうのかもしれないです。

なるべく統一したほうがよさそうです。ルールを決めることができるかな??

これも、自分軸を作るってことのひとつかな。

 

アーサナ名の単語登録が便利

サンスクリット語で入力するのに、強力な武器を手に入れました。

ヨガのアーサナ名を単語登録してくださったのをみつけました。

あどj  :アドー・ムカ・パスチモッターナアサナ

あどjj :Adho Mukha Paschimottanasana

 

こんなふうに、最初の2文字を入れてからjをつけることで単語変換します。

jひとつで日本語です。jjと二つ付けるとローマ字表記のサンスクリット語に変換されます。

 

「せつj」では候補として「セツ・バンダ・サルワーンガアサナ」「セツ・バンダアサナ」と二つ出てきます。

 

これからブログを書くときに使わせていただこうと思います。

 

ブログへの感謝

単語登録のデータ作り、登録方法を教えて下さったのは

yogaforall.exblog.jp

京都駅の近くで、アイアンガーヨガのインストラクターをしていらっしゃる山口さんです。

 アイアンガーヨガのあらゆる情報をすべての人に!

というコンセプトで情報を発信されています。

 

めずらしい男の先生です。

アイアンガーヨガがとても好きだということが伺える記事がたくさんありました。

 

実は自分でもコツコツ単語登録しようとしていました。アドー・ムカ・シュヴァーナアサナしかしていなかったのですが・・・・

自分で単語登録しなくてすんで、助かりました。

 

ありがとうございました。

他のアイアンガー関連の情報も参考にさせて頂きます。

ヨガ道場に通って一か月 アイアンガーヨガセンター

お誕生日でした

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  *まだまだ未完成ですが、ここからどう進歩していくかのスタート地点です。膝を痛める前です。

11月が誕生日で、64歳になりました。

この月からヨガセンターに通うことにしたので、

「私は64歳からアイアンガーヨガを始めました」ということになります。

将来振り返ってみて、トピック的な年になると思います。

とはいっても、明日死んでしまうかもしれない身体だということは忘れないようにします。

 

断捨離に出会い、ヨガに魅かれていき、銀座のうちこヨガに通うようになって数年たちます。

いろいろなところで稽古していましたが、これからアーサナの練習はアイアンガーヨガセンターをマイ道場として定期的に通うことに決めました。

 

タイミング

10月に久しぶりにひどい風邪をひき、ひざも傷めていたのですが、道場を決めるいいタイミングだったと思います。

薬やお医者さまに頼らず、じっくり自分の心と身体に向き合う時間でした。

生活とヨガについて考えました。

多方面にあれこれと外に向かっていく「欲」もなくなっていたように思います。

 

体調に自信過剰になることがなく、年相応におとなしく稽古を始めることができたと思います。

変に「ヨガやっていました」と見栄を張ることなく、体調悪いんです、ひざが痛くて座ることができません、というスタートラインに立つことができました。

 

出来なくても仕方ない、という素直で謙虚な気持ちで道場に通い始めました。

謙虚な気持ちって、忘れがちです。

アイアンガーの道場では、ホントに初心者でした。

1ヶ月経っても、道具の出し入れにもたもたして、周りの方に助けていただいてます。 

 

条件的に

他にも好都合なことがいくつか重なり、道場に通うことにしました。

仕事やほかの用事も整理でき、家事などの分担や役割も時間的に融通できるようになりました。

通うための交通機関がわりと便利なこともわかりました。

今からしばらくは通い続けることができるという見極めができたのです。

経済的なこと、体力的なこと、これも今しばらくは継続できそうです。

 

もっと早くから始めていたらと思いがちですが、今から始めることができることに感謝です。

以前通っていたホットヨガのレッスンの最後は「今日ここでヨガができたことに感謝です」と言う言葉で締めていました。

私も今日ヨガにかよう道すがら、「ヨガに通うことができることに感謝」っていう気持ちが自然にわいてきて幸せだなあと思いました。

 

ヨガに通えていること、それができるだけで生活が明るいのです。

 

自分の体調もですが、家族が誰か病気でもなかなか家を出ることはできません。

いろいろなことに本当に感謝です。

 

アイアンガーとアシュタンガ

今までいろいろな先生の、いろいろなヨガのクラスに参加したことがあります。

アイアンガーを学んでいるという先生に教えていただいたこともあります。

でも、どちらかというとアシュタンガのようなどんどん動いていくヨガのほうが好きでした。

汗を流して、最後にドテって倒れ込むようにシャバアーサナに入っていく解放感が快感でした。

 

マットさえあれば道具を使わないで体一つで動くことが、ヨガの魅力的だと思っていたのです。

 
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アイアンガーヨガではベルトやブロックなどプロップスを使います。

そういう道具を使うのはシンプルでないというマイナス評価をしていました。

 

その私がアイアンガーヨガを学ぶようになったですから、不思議に感じます。

 

ヨガの練習をして何度もひざを痛めたりしたのは、私の不注意と不勉強のせいです。

思い込みが激しかったり、がさつに動いてしまう性格が、なかなか直りません。

そういう私には、プロップスを使いながら、怪我をしないように慎重に進めていくアイアンガーが向いているのかもしれません。

 

先生たちも尊敬でき、間近に見ることができるのはありがたいです。

何年か前、今年の目標は「ライブ」に参加することだと思い、断捨離セミナーに行ったり銀座ヨガに参加したりしだしました。

 

毎回の稽古で先生方のアーサナを見、お話を聞くことは上質の「ライブ」に参加しているようです。

 

生活の中に

道場で正しい足の使い方を学び、傷めた膝をじっくり直していきます。

 

アシュタンガの動きも楽しみながら自宅で練習し、魂の乗り物であるこの身体のメンテナンスをしていきたいと思います。

 

立っているとき、親指と小指の根元を感じ、かかとで強く押すことを意識します。

電車を待ちながら、書店の立ち読みでも、思いついた時にしています。

(道場では、「強く」「できるほどに」という言葉がくりかえされます。)

 

パソコンに向かって座っているときは「坐骨」が感じられるように。

モールでの買い物に疲れて椅子に腰かけるときだって「坐骨」です。

つい忘れるのですが、思い出すたびに意識して、無意識にできるようになれたらうれしい。

 

台所仕事をしながら両手を上に思いきり伸ばしてみたり。

ちょっと壁があったら、アルダ・チャンドラアサナ(半月のポーズ)でひょいと立ってみます。

 

生活の中でヨガ的な意識をめぐらせていくと楽しくなってきます。

 

体も心も軽く、静かで穏やかなのが理想です。

 

 

 

 

見間違い 自力で健全な大人を目指す

ちょっと近眼 もしかして老眼


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思い出の飯山の小路 目にも優しいでしょ?

 

わたしは車の運転と字幕付き映画を見るときは、メガネが必要です。

パソコンと読書、普段の生活には支障がない程度の近眼です。

高校生からの近眼のせいか、老眼ってあまり感じたことがありません。

中年のころ、夕方の新聞が読みにくいなって感じたのが老眼を意識した最初だったと思います。

その後、特に困ることもなく長時間のパソコンに目が疲れることはありません。

はっきり見えなくても、だいたいのことは何とかなるものだと感じて日常生活を送っています。

見間違い

ブログを読んでいて、おもしろい見間違いをしました。

「自力」が「ヨガ」に見えたのです。

自力で健全な大人を目指す  は  

ヨガで健全な大人を目指す

でも意味が通りますよね。

ヨガのことばかり考えているから、こんな見間違いをしたのでしょう。

 

と同時に、はっきり見ないで適当に自分の都合の良いように読んでしまっているのに気がつきました。気がつかないけど、そういうことをよくしているのかもしれません。

 

読むことだけでなく、いろいろなことを自分に都合よく考えたり判断したりしているかもしれません。

 

遠い昔

今でも記憶に残る見間違い、読み違いがあります。

学生時代、学生運動は下火になっていましたが、大学やその近辺には過激派(といわれた人たち)の落書きがありました。

1970年の安保反対闘争が主な争点でした。

あるとき歩道橋を登ったその先に、「安保解体」とあったのですが、最初そうは読めなくてギクッとしました。

独特の角ばった字体で「へんとつくり」つまり部首が離れているのです。

「うかんむり」と「口」が離れていて、「女休(体)解体」というとんでもない読み違い!!

ふと、思い出しました。

あのころは純情でした。

 

眼のこと

読書をすると目がかすんですぐに眠たくなりますが、パソコンに向かっていても疲れることはありません。

ところが、スマホを見続けた後、パソコンに向かうと目がかすんで焦点が定まらないという現象が起きます。

今SUDOKUがたのしくて、スマホのアプリで毎日やっているので、発見しました。

 

スマホを見続けることは、とても目に負担になるのだと実感しました。

ほどほどにしなくては。

 

お風呂の中では、思いついた時、呼吸に合わせて首をゆっくり左右に動かします。

その時ついでに目線もしっかりつけるので、これは目のとてもいい運動になると思います。

お風呂での習慣にしたいです。

あ、お風呂の中でなくても、机の前でもできますね。

 

 

アシュタンガ 八支則からニヤマ(勧戒) すべきこと

 日常生活ですべきこと、心がけること ニヤマ 

 

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引用はインドの伝統式ヨガスクール リシケシ・ヨガシャラのホームページから引用させていただきました。

シャウチャ(Saucha)/清浄
 自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと身の回りの空間を清潔に保つことも含まれる。

心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう心がける。慈悲喜捨の精神。不幸な人には、憐憫の情を立派な人がいたら自分もそうありたいと精進し、嫉妬するのではなく敬う。受け入れ難いひとがいたら、攻撃するのではなく、距離を置き、反面教師として自分の精進にする。 

家でマットに立って太陽礼拝をするとき、部屋が乱雑になっていると集中できません。

ダウンドッグの時に目線にマットの周りに置いてあるものが入ってしまうのです。

そのたびに、太陽礼拝を中断して 片づけたくなります。

掃除が苦手な私は、このシャウチということばで、自分を律していきたいと思います。

これが一番私の身につけたい習慣です。

この言葉だけでいいから、一番目につくところに貼っておきたい!!

 

心も清浄にするのは、もっともっと大変なのでしょうけど、まずは形から外から清浄を作っていきましょう。

あれ、これって断捨離の考え方ですね。心の悩みを解決する方法として物の片づけから始めるというのが、断捨離の方法論です。

 

道は遠くても歩み続けます。

 

サントーシャ(Santosha)/満足、知足
 今あるものに、常に満足すること。自分の周りにあるもの(環境、今置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものすべて)、ヨガの基本的な思想の一つは因果律。今置かれている状況は先に何か原因があり、ここに理由があって必然であると考える。なので、あるがままそれ自体で、すでに完璧である。

今に満足できたら、幸せです。

無くなって初めてそれまで持っていたことに気がつくことが多いのですが、失わなくても持っているものに感謝したいものです。

たとえ膝が痛くても、両膝が痛くないことに感謝です。

膝が痛くても、ヨガができることに感謝です。

膝が痛くても、他の内臓的な不調がなく、風邪もひいていないことに感謝です。

 

つきつめたら、生きていること、この世に生まれたことに感謝になります。

 

自分の中に世界はあり、幸せも自分の中にあるということです。

 

タパス(Tapas)/苦行、自制
 精神鍛錬のために困難なことを実行すること。または、人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる強さを培うこと。ただし、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢す ることはアヒムサ(非暴力」に反する。
 どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うために実践する。 

 なかなか、自ら厳しい状況に身を置くことは難しいです。

今はヨガの道場に通うことが、自分を甘やかさない歯止めになっています。

外側から締め付けないと、どんどんタガが緩んでしまうのです。

 

これから季節は寒くなりますが、できる限りの回数道場に通いたいと思います。

道場に行きはじめてまだ1ヶ月ならないのですが、家でも自習をするようになりました。

これは、いい傾向だと思います。

 

それと、これは関係があるかどうかわかりませんが、数学パズルに挑戦しています。

SUDOKUという数字をマスに埋める脳トレの一種です。これをちょっとやってみたら全然できなくて驚きました。頭が働きません!

今まで関心がなくむしろ苦手な分野なのに、やってみようと思ったのは、アイアンガーヨガに通うようになったからだと思えるのです。

苦行というわけではないのですが、安易に流れない気持ちが育ちます。

SUDOKUの中級から始めたのが間違いのもとでした。

易しい問題から初めたら、コツと方法がわかってきて、どんどん解く時間が短くなってきました。

いつもと違う頭の使い方をしているのを感じて、これもアイアンガーで体の隅々まで意識をめぐらせて観察することを学んでいることと関係がある気がします。

 

早急な解決や困難を逃げる態度(大げさ!!)がなくなったのは、アイアンガーで基本からきっちり始めること、他人と比べないで自分の変化にだけ注目する態度などをなまんでいるからだと思えます。

 

アイアンガーヨガは、アーサナがどんどん完成して楽しいというものではないのですが、ていねいに自分と向き合う本物の生き方のようなものを学んでいます。

 

苦手でも、じっくり自分の能力を育てていこうという気持ちになるので、SUDOKUにも取り組めるのだと思います。

 

今まで欠けていた能力を育てている実感があり、楽しいです。

 

 ●スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心
 心を調える働きを持つ書物聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)を読むこと。
 自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇華させ、人格を成長させることを意味しています。

今は「アイアンガーヨガ 完全マニュアル」を読むのが楽しくてたまりません。

他の本がなくても、これを繰り返し読むことで満足できそうです。

 

アイアンガー尊師の伝記にも学び、ヨガの目的、健康への効果もアンダーラインを引きながら読んでいます。アーサナの名前も覚えようとしていますし、ヨガ哲学も再確認だったり新しい知識が増えます。

 

アイアンガーの認定指導員の方のブログも読み漁っています。

いままではシンプルライフ系のブログを読むことが多かったのですが、ライフスタイルもヨガという軸をはなれないように気をつけなくては。

ブログからも智慧をたくさんいただけます。

 

そのいただいた智慧を自分の生活に取り入れ、その結果なんかをこのブログでも書き残していけたら人の役にも立ちそうです。

 

イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神記念、信仰
 唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げること。 
自らに備わっている神性を信じること。
 万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。
 自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねること。 

 信仰心については、まだ考えがまとまっていません。

ただ、インド哲学で3種の苦しみがあるとします。

・自分が変わることで防ぐことができること

・人が原因となっていて、自分の側ではどうしようもないこと

・天災など自分ではどうしようもないこと

 

何か困ったことが起きたら、この3種のどれにあたるかを考えることにしています。

天災などは、悲しかったり苦しかったりしますが、受けいれるしかないと心を決めることで、気持ちが楽になり、次どうするかに向かうことができます。

 

自分でどうしようどうしようと思い悩み、どうしてなのと思い悩み恨んだりして心をふさぐことがなくなります。

 

インドの素晴らしい智慧だと思います。

 

八支則とはさらに6つ ヨギーニの道

ヤマ ニヤマ の実践の次にやっとアーサナと呼ばれる身体を動かすことが出てきます。呼吸法もそのあとに実践するべきだとされています。

つまり、道場でアーサナを学ぶ以前に、日常の生活も修練の場となるわけです。

朝起きたときの掃除から、夜入浴し、一日を反省し心静かに就寝するまでの動作と精神が無関係ではないのです。

人や物に対する自分の接し方全てです。

 

ふーーーーーー。

ヨギーニの道は続きます。

 

 

アシュタンガ 八支則からヤマ(禁戒)  してはいけないこと

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*日本アイアンガー協会のホームページからお借りしました

 

八支則

ヨガの聖典、聖者パタンジャリが説いた「ヨーガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えで八つの段階・行法があります。

そのうち

ヤマ 禁戒   日常生活で行ってはいけない5つの心得

ニヤマ 勧戒   日常生活で実践すべき5つの行い

について書いていこうと思います。

 

これは、読むたびに心して実践したいと思うのですが、すぐに忘れてしまいます。

トイレにでも書いた紙を貼ろうかと思ったのですが、それは家族にもこういう気持ちになってほしいという「欲」があるからだと気がつきました。

そういう邪心はあるのですが、毎日必ず目に留まることを考えると、トイレに貼るのが一番だと思うのです。

 

自分が良く見る壁にだけ貼ってみて、それから手帳にも書いたりして、それでもだめならトイレに張ることにします。

 

引用はインドの伝統式ヨガスクール リシケシ・ヨガシャラのホームページ

www.rishikesh-yogashala.com

が良くまとまっていたので、利用させていただきました。

 

ヤマ 禁戒の5つです

アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生
 いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。
 誰に対しても怒りを抱かないこと。もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自身を大切にすることから始まる

 ここでヨガの哲学が深いなと思うのは、言葉の暴力、思考の暴力までも含めていることです。人を傷つける言葉を出さない事は当然ですが、無視したりすることも思考の暴力だと思います。

怒りの感情のままに、口に出してしまう言葉をもコントロールしたいです。

時に気持ちを傷つけるとわかっていての無視など、自分に許してしまいがちです。

自分にしてほしくないことは、他人にもしないという考え方同じですね。

自分と他人とを同一に見るという根底があるともいえます。

すべてがつながっているというヨガの思想です。

 

サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと
 自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わ ない。その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優先される。
  嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。

嘘をつくと、それを正当化するために嘘を重ねることになります。心穏やかでいるためには嘘をつかないことに限ります。

正直でいることは、その責任を自分がすべて負うという覚悟と強さが必要となる場合があります。その覚悟と、結果は思いわずらうことなく瞬間に生きるというヨガの哲学が支えになります。

 

 ●アスティヤ(Asteya)/不盗
 他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。
 自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じたり、名声やよい評判を得ようという エゴが生まれる。約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも 他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。
 物やお金、地位、名声など、常に変化し続ける外の世界には真の幸福はありません。
 どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出さえも、執着しない状態でいることが一つの鍵です。

 他人の時間を盗んでもいけないというのに、はっとさせられました。

気に沿わない人との会話で、おざなりに返答したりすることがあるのですが、それも相手の時間を盗んでいるのだと言えます。自分の時間も無駄にしています。

人と会い、話したり、教えたり、教えられたり、そのひとときひとときも、大切にしようと思います。

何かで読んだのですが、どんなふうに時間を使うかはどのように生きるかということだという言葉があります。

人の時間を盗まないで、時間を共有するときには楽しく豊かな時間にするように、その人との関係に集中したらいいのでしょうね。

家族との時間を大切にしたいです。

 

ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲
 もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避けることとされている。生命エネルギーは必要なところに集中させることが禁欲の本質。 

 私にとっては、食欲とかテレビをだらだら見ることなどのコントロールが大きな問題となっています。

なかなかうまくいかないです。

生命エネルギーを浪費して、消化器官を消耗させたりしています。

自分を甘やかして、甘いものとかたわいもないドラマとかを自分へのご褒美としてしまっています。

少しずつ、少しずつ、進みます。

 

 ●アパリグラハ(Aparigraha)/不貪
 貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。
 程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもあります。必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うのではなく、与えることにつながります。

 必要以上に所有しないこと、これこそシンプルライフです。

断捨離もそうです。

 

必要以上に持たないことで、身の回りも心も頭の中も快適にすることができます。

 

貪欲さの反対は、他者に与えることができることを喜ぶ気持ちでしょう。

 

その境地を目指します。

貪欲は醜いですものね。

 

 

以上日常生活で、してはいけないことでした。

膝の怪我のその後 

ひざの状態



相変わらず膝は痛いのですが、階段の上り下りは楽になりました。

でも、それは、痛みになれて足の使い方が上手になったせいかもしれません。

膝を曲げることは確かに楽になり正座の姿勢(ヴィラアーサナ)が全くできなかったのが、お尻の下にブランケットを当てて膝を広げた下向きの英雄のポーズ(アドームカ・ヴィラアーサナ)ならできるようになりました。

それは、良い兆候なのですが、ひざの下からふくらはぎにかけてが痛むようになりました。

 

家でも忙しく階段を上り下りすることが多いのですが、出かけた先ではなるべくエレベーターやエスカレータを使うようにしています。

長く歩くこともやめています。

(膝が痛いのにポケモンモンスターボール集めに歩き回ったこと、をちょっと反省しています)

ヨガのポーズでは、立ポーズは壁を背にして無理をしないように、ゴームカアーサナなどは別メニューを指示されています。

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お見苦しいのですが、右ひざの腫れの様子。まだ腫れています。膝の周囲にエクボが5個見えなくてはいけないのだと、アイアンガーの先生に教えていただきました。

怪我の原因

直接は風邪を引いて体調が悪いのに、パドマアーサナを長い時間したときからでした。

でも、その前から膝は弱かったのです。

長時間のドライブで足を組んでいたとき、車から降りたとき、よく膝が痛くなりました。

 

夜中に曲げていた膝が固まったようになって、それをほぐすのに慎重にしないととても痛かったりしたことがあります。

 

太陽礼拝でチャトランガで膝をついた時、ひざ上のぜい肉をおかしくこすって、痛くしたこともありました。

 

もともと、ひざが弱かったのだと思います。

 

不調から始めてよかった

アイアンガーヨガセンターに体験を申し込んだときは、ひざの不調はなかったのですが、3回の体験中に風邪をひき膝も傷めてしまいました。

これではセンターに通えないのではと思いました。

今はタイミングではない、というです。

でも、ヨガセンターの先生からは足の正しい使い方を覚えたり、痛みを取る方法を覚えることができるから通ってもいいと言われたのです。

 

膝が痛い私は、毎回練習の始まる前に不調のある人を聞かれて手をあげています。

膝に負担のかかるポーズは別メニューで、無理はしないようにと言われます。

無理はしないようにと言われても、練習内容はかなりハードです。

 

タダアサナで立って、両手を上にあげるのですが、ウールドヴァ・ハスタアサナとウールドヴァ・バッダングリアアサナを2かいずつするだけで汗ばんできます。

足指スティックをはめ、傾斜板に乗って、背中を壁につけて尾骨は下に降ろして・・・・と、身体を観察しコントロールしながらです。

 

いままで、意識していなかった(できなくても仕方ないと思っていた)アライメントを正確にするために、真剣です。

 

膝を引き上げ、太ももを後ろに押すことを常に意識します。

 

不調のある私は途中から別メニューになり、セトゥ・バンダ・サルバーンガに長く入ります。これは胸を開いてのシャバアサナのようなもので、気持ちがいいです。

 

今はセンターに行って、道具やポーズになれることに精いっぱいです。

不調があるので、無理することなく自然体で参加できてよかったです。

 

身体の痛みと付き合う

膝が痛いといろいろなことを考えます。

どんなふうに痛いか、痛みの程度はどのように変化しているか。

自分で観察して、ヨガの練習時に先生に説明したいからです。

前の日にどんなことをしたら、次の日に影響するかなど、自分で把握することを心がけています。

いままでは、他人任せというか無自覚でした。これからは自分で痛みと付き合い、治していこうと思うのです。

 
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今できることの幸福

膝は痛いけど、片方だからよかったと思います。両膝だったら出かけることもできません。ほかにも病気がないからヨガができることが、幸せだと思えます。

普通に生活することは、それだけど恵まれていることを忘れないでいるのは、なかなかむつかしいことです。一つ痛みがあるとそれができます。

どんな時も続けたい

ヨガセンターで購入した

「アイアンガーヨガ」完全マニュアル

その中にも

定期的な練習の積み重ねは身体の内側の力と自然な免疫力を高め、痛みを緩和し、病の病状ではなく、その根源に対処する。

と書いてあります。

 

アイアンガーセンターに通うようになったのを契機に、もう一段ヨギーニへの道を進んでいくことができそうです。

 

痛いところがあっても、風邪をひいていても、どんなときにもできるヨガを探っていきたいです。